お金にまさる人の知恵
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最終更新日:2023/06/17
昔話
蒸し暑い日が続きますね。
気温が30度近い地域も出てきて、今年も暑い夏を予感させます。
汗をかいたときには、水分だけでなく塩分を摂ったほうがいいと言いますね。
ナトリウムやミネラル分も補給をしないと、体内の塩分が汗で出ていくばかりで危険なんですね。
みなさんは塩分をどうやって補給していますか?
私はもっぱら梅干しです。梅干しは、殺菌作用もあり、体にも良い。夏のお弁当にも必須アイテムですね。
日本の梅には中国からの渡来説と、日本古来の原産地説とがあります。多くの文献においては、前者が採用されていますね。梅は中国原産の花木で、2000年前に書かれた中国最古の薬物学書『神農本草経』には、すでに梅の効用が説かれていました。そして日本に梅が伝わったのは奈良時代以前。
日本の文献に「梅」という文字が最初に現れるのは、日本最初の漢詩集といわれる『懐風藻(かいふうそう)』(751年)におさめられている、葛野王(かどののおおきみ)の「春日翫鶯梅」と題する五言詩です。また、日本最古の歌集『万葉集』にも、梅を題材とした和歌が数多くあります。なんと、桜の花を詠んだ作品が42首であるのに対し、梅の花は118首にも登場するんですね。
ここからもわかるように、梅は当時多くの人たちに愛されていたんですね。ただ、梅が重宝されたのは、花の美しさだけではないのです。古代から梅の実にさまざまな効能のあることが知られており、そのため人々から広く利用されていました。梅の実は奈良時代にはすでに柿・桃・梨・あんずなどと同様に、生菓子に加工して食べていたようです。そして、その後梅の効用が知られるようになり、梅の塩漬けを保存食、食薬品として用いるようになったのです。
梅干しの原型ともいえる梅の塩漬けが「梅干し」として初めて書物に現れるのは平安時代中期頃です。平安時代に宮中医官を務めた丹波康頼が撰した日本最古の医学書である「医心方」の中で、薬として紹介されたのが初めてといわれています。梅干しは医心方に効用が記述されるほど効果のある食べ物だったわけですが、梅の実は当時貴重なものだったこともあって、貴族などの身分が高い人たちしか食べることができませんでした。
エピソードの1つとして、村上天皇(在位946~967年)が疫病にかかったとき、梅干しと昆布を入れたお茶を飲んで回復したという記録があります。これが元旦に飲む縁起物として今に受け継がれている「大福茶」の起源とされているんですね。この年が申年であったことから、以来、申年の梅干しは特別なものとして珍重されるようになりました。
時は鎌倉時代に移り、『世俗立要集』という文献に「梅干ハ僧家ノ肴」と紹介されています。この意味は、梅干しはお坊さんの酒のさかなとして利用されていたということです。なんと、薬だった梅干しは酒のさかなとしても食されるようになりました。この風潮が、やがて武家の食膳にも広がって、武士の出陣の際には、縁起をかついで必ず梅干しを食べたそうです。
戦国時代には、梅の効用はますます認められるようになり、軽くてかさばらない梅干しは兵糧食として用いられるようになりました。日もちもよいのでとても重宝されんですね。兵士が戦場で働いても疲れることなく、簡単に栄養を補給でき、しかも軽くてかさばらない、そんな理想の兵粮食が「兵糧丸」です。この兵糧丸にも梅干しが使われていました。
江戸時代になると、貴族や武士だけでなく、庶民の食卓にも梅干しが広がります。江戸中期には、町でも梅干しが売られるようになり、梅干し売りが声をあげながら町を歩く姿も見られるようになりました。また、梅の漬け方が工夫されるようになったのもこの頃。梅干しの紫蘇漬けや、梅を砂糖漬けにした甘露梅が生まれました。江戸末期には『諸国古伝秘方』(1817年)という日本各地にあった健康法の口伝を記した文献に、現在の梅肉エキスの原型となるものの作り方が記されています。
明治維新となり、文明開化と称して西欧の知識がもてはやされ、江戸時代のものは旧弊とされたことから、梅の健康効果に対する関心は一時途絶えてしまいます。その後、明治から大正にかけて起こった日清・日露戦争や第一次世界大戦では、再び梅干しが重要な兵糧食として採用され、これにより増加する梅の需要に合わせて、和歌山県をはじめ、全国各地に梅林が広がりました。この頃、学校に通う子どもたちに日の丸弁当が奨励されるようになりました。日の丸弁当が生まれたのは、この時代なんですね。
しかし、その後の第二次世界大戦中には食糧としてサツマイモの栽培が奨励され、梅の生産量は激減します。戦後、日本の復興発展とともに梅の効用が再評価されるようになり、梅の栽培が再び盛んになり、梅を使ったさまざまな食品が登場しました。昭和30年代になり、日本経済が復興の兆しを見せ始めると、果実類の需要が増加し、梅の栽培も急速に回復。高度経済成長期には食生活が多様化し、梅の需要も増加し栽培面積が急増します。そし様々な品種が生み出されるのです。
日本人は昔から梅の効用を知り、梅とともに生きてきました。今では梅味の商品がたくさん販売されていますね。食材を腐らせないツールや、体の調子を整えるものはたくさんありますが、もう一度梅の効用を見直して見るものいいかもしれませんね。
お金よりも知恵が勝る?
最後に、梅干しが出てくる面白い日本の昔話を1つ。
「匂いの返し」というお話しです。
昔あるところに、お金持ちの男と貧乏な男が隣同士に住んでいました。
お金持ちの男はいつも豪勢な食事をしていて、貧乏な男は白ごはんに梅干1つという貧しい生活でした。
お金持ちの男は、とんでもないケチで、お金への執着がとても強い男でした。
ある日、お金持ちの男が鯛を焼いていたら、隣の貧乏の男が鯛の美味しい匂いを嗅ぎながらご飯を食べようとしていました。
するとお金持ちの男は、「匂いを嗅いだのだからお金を払え!」と言い出しました。
貧乏な男が困っていると、お金持ちの男が奉行所で裁いてもらう!と言い出しました。
結局、奉行の裁きによって、貧乏な男はお金を払うことになってしまいました。
そこで貧乏な男は、巾着に手を入れて『チャリチャリ』とお金の音を聴かせました。
お金持ちの男が不思議そうに見ていると、「形のない匂いには形のない音で返します。」
と言って、実際のお金は払わずに、さっさと帰ってしまいました。
お金があっても知恵には勝てないというお話です。
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