現代文化のルーツを探る㊸ かき氷
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現代文化のルーツ
まもなく日本全国梅雨が明けそうです。
今年も暑くなるという情報がありますが、コロナ禍もありマスクはまだまだ続きそうで、息苦しい夏になりそうですね。
暑い夏、皆さんはどうやって涼をとりますか?夏といえば、ビール?アイス?やっぱりかき氷ですかね?
夏祭りや花火大会などで必ず見かけるかき氷屋さん。実はその歴史はかなり古いものなんですね。
今日はかき氷のルーツを探ってみたいと思います。
むかしは天然の氷を都に運んでいた
かき氷の歴史は、平安時代、清少納言の『枕草子』に出てくる「削り氷(けずりひ)」が最初と言われています。『枕草子』第40段「あてなるもの」(上品なもの、良いもの)の中に、「削り氷に甘葛(あまずら)入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる」という文章があります。現代語に訳すと、「削った氷に蔓草の一種である甘葛(あまかづら・あまづら。蔦の樹液を煎じた汁のことで、はちみつに似た甘味料)をかけて、真新しい金属製のお椀に入れる」となります。
冷蔵庫や製氷機のない時代h、夏の氷がとても貴重なものでした。冬の間に天然の氷を切り出して、山の麓の穴倉や洞窟の奥に作った「氷室(ひむろ)」という貯蔵施設に保存し、夏に氷を切り出して都に運ばせ、宮中で暑気払いを行っていたと言われています。運ぶ間にも氷は溶け、御所に着く頃には、氷は小さくなっていたと思われます。その氷を小刀で削って食べることができたのは、一部の貴族階級の人達だけだったのです。
氷室は奈良時代にはすでに存在し、天皇への献上品として氷を利用する制度があったといいます。江戸時代には、加賀藩(現在の石川県)が冬に切り出しておいた雪氷を、毎年6月1日に将軍に献上していたことが記録に残っています。そして江戸時代末期になると、船を使って北国の氷を大量に江戸へと運べるようになり、氷が身近な存在になりました。日本で初めての氷屋が開業し、庶民が氷水を口にできるようになったのも、明治時代になってからです。
製氷機の開発によりかき氷が庶民の味に
明治時代に入ると製氷機が開発されたこともあり、庶民も氷を手にすることができるようになります。ただ当時は、今では当たり前に見かけるかき氷機(氷削機)はなく、鉋で小さく削ったものを食べていたそうです。明治20年に今のようなかき氷の形になりました。村上半三郎氏が発明したかき氷機によって、薄く削った氷を食べられるようになりました。村上氏に感謝です。それからさらに技術が進化し、いまではふわっとした滑らかな氷を食べられるようになりましたね。
文久2(1862)年の夏、箱館や諏訪湖から氷を運び、横浜の馬車道通りに日本で最初のかき氷屋「氷水屋」をオープンさせましたのが、日本初のかき氷屋さんと言われています。店をはじめた当初は「お腹に悪い」という噂が流れてなかなか売れませんでしたが、一旦安全だと分かると、爆発的に売れるようになりました。この頃は1杯2文で、2時間位並ばないと買えないほどの人気だったと言います。
かき氷の日をご存知ですか?
ときに、なぜ「かき氷」と呼ぶのでしょう?
冷凍庫のない時代は、氷の欠けた部分を使って削って作っていました。「欠けた氷=かけごおり」が「かき氷」になったというのが有力な説ですが、手で氷を掻いて食べたから「かき氷」という説もあります。
日本には色々な記念日がありますが、かき氷の日があるのをご存知ですか?
日本かき氷協会によって1933年7月25日に制定されました。この日は日本最高気温を記録した日で、かき氷を食べるのにふさわしい日であるというのが理由でだったんですね。また、夏氷とも呼ばれるかき氷の「7(な)2(つ)5(ごおり)」という語呂合わせも理由の1つとなっています。今年の7月25日もとっても暑そうですね。皆さんもオリンピックを観戦しながら、冷たいかき氷を楽しんでくださいね。
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