現代文化のルーツを探る㊴ 団扇
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現代文化のルーツ
だんだん蒸し暑くなってきましたね。そろそろ皆さんの家庭ではエアコンも活躍しているでしょうか?我が家ではエアコンもつけますが、団扇(うちわ)が活躍しています。小さい子がいるので、あまりエアコンで冷えすぎてもよくないと思い、エアコン+団扇で風を起こして涼をとっています。涼をとる以外にも、子どもの食事を扇いで冷ましたり、小さな虫を追い払ったりと、団扇は結構便利なものです。
エアコンや扇風機に押されてあまり日の目を見なくなった団扇ですが、いったいいつ頃から使われているのでしょうね。今日は団扇のルーツを探ってみます。
もともとは顔を隠すためのものだった?
団扇の起源は古く、中国の周時代(前三世紀)にはすでに存在していたといわれています。同時期のエジプトラムセス二世の墓地壁面にも団扇が描かれていて、これは中国からエジプトへ伝わったものと考えられています。日本に伝わったのは、2〜3世紀頃と考えられていて、奈良県明日香村の高松塚古墳の壁画には、当時のうちわを手にした人物が描かれています。
団扇は古来より、涼をとるだけでなく、祭礼などで貴人や女性が顔をかくすために用いられました。また役人、僧侶など、地位の高い人たちが顔を隠し自らの威儀を正すために使用したり、虫を払うための道具として使用されていました。さらに、天皇の食事を冷ますためや、宮中の火起こしをするための道具として使用されていたとも言われています。まさに今の私の使い方と一緒!使い方はずっと変わらないんですね。
戦国時代には、団扇は合戦時に用いられる軍配団扇として活躍しました。これは合戦の際に大将が、軍の配置や進退などの指揮をするための武具として使用されたものです。鉄と皮革や木を使って作られた軍配団扇は、現在のうちわとは違い独特な形をしています。皆さんも歴史書や時代劇で目にしたことがあるかと思います。そうそう、大相撲で行司が使用しているあの軍配のような形です。実際に大相撲の軍配は戦国時代に使用されていた軍配団扇の名残だと言われているんです。
庶民の道具として浸透していった団扇
江戸時代に入ると、団扇は庶民の手に入りやすくなります。
暑さを凌ぐのため、炊事の際の火起こしのためなど、使われ方は現代と変わらず日常生活の道具として使用されていました。また、この頃から団扇に浮世絵や歌舞伎役者、美人画などが印刷されたものが普及され始めます。団扇が道具として用いられるだけでなく、見て楽しむ芸術品としても好まれはじめたたのですね。お気に入りの役者を描いた団扇を手に遊び場へ出かけることが、当時は粋とされていました。今でいうアイドル団扇のはしりですね。
さて、うちわを「団扇」と書きますが、その語源は何なのでしょうか?
諸説ありますが、うちわは羽を使ってハエや蚊などを打ち払うことを指す「打ち」と、その道具である「羽」を組み合わせて「羽打ち羽(うちわ)」となったことが語源とされています。打ち払うという行為には、ハエや蚊などの虫だけではなく、病魔などの害を撃ち払う魔除けの意味合いも含まれていたようです。
語源のままの漢字を当てれば「打羽」となりますが、実際には「団扇」という漢字が用いられていますね。この団扇という漢字は、もともと中国で使用されていた中国語なんですね。 中国語で丸いという意味である「団」という漢字と、観音開きの開閉の際に風が生じる様子を表した「扇」という漢字2文字で、中国では「団扇」と呼ばれていました。それが日本でも当て字として使われるようになりました。
日本で有名な団扇
今日のうちわのルーツは、
中国月扇…一本の竹を柄の部分を残し細かく割り、放射状に広げ紙を貼ったもの
朝鮮団扇…木または竹で挿柄したもの
南方系葉扇…檳榔樹の葉などで作ったもの
の三つの系統に分けられ、京うちわは中国・朝鮮の流れを汲むものとされています。
京団扇はとても有名ですが、それ以外にも日本には有名な団扇があるので、それらを紹介して今日のブログを終わりたいと思います。
●京団扇(都うちわ)
京うちわは「都うちわ」とも呼ばれ、宮廷でも用いられた極めて優美なもの。”差し柄”と呼ばれる製法は、地紙面と把手(とって)を別に作る方法で、京うちわの大きな特徴になっています。京うちわの構造は朝鮮うちわの流れを汲むもので、沢山の竹製の細い骨によって地紙が支えられています。
●讃岐うちわ(丸亀うちわ)
金毘羅参拝の土産物として名高い丸金 印入りの渋うちわが丸亀で作られ、また、天明年間(1781~1789年)には、丸亀藩江戸詰大目付瀬山登が丸亀藩の下級武士の内職として大いに奨励したことが、丸亀におけるうちわ作りの基礎となったとされています。丸亀におけるうちわの生産は、全国のうちわ生産量の約90(特徴等)%を占めています。 丸亀うちわの特徴は、柄と骨が一本の竹で作られているものが多いことが特徴です。
●房州うちわ
持つ所が丸い竹でできているうちわを「房州うちわ」と言います。その多くが、舟形と那古で生産され、明治23年、那古に住む忍足信太郎さんが「割ぎ竹(さぎだけ)」の加工を内職として手がけたのが房州でのうちわづくりの始まり。明治30年になって、同じ町に住む岩城庄吉さんが本格的に「割ぎ竹」の加工を始め、大量の加工品を出荷するようになり、大正の初めには「マド」と呼ばれるうちわの骨づくりまでの加工が出来るようになりました。
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