現代文化のルーツを探る㊳ 囲碁
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現代文化のルーツ
王様を目指して囲碁を学ぶ子どもたち
前回のブログでは将棋のルーツを辿りました。将棋といえば次は、囲碁ですよね。
世界中で囲碁を打つ人は、推定で約4,000万人といわれています。世界の人口が約70億人なので、175人に1人は囲碁を打っているいることになります。そんなに人気なんですね。
今日は囲碁のルーツを探ってみます。
囲碁のはじまりは、今から四千年くらい前の中国といわれています。碁盤を宇宙、碁石を星に見立てて、天文や暦、易にも使われたといわれています。中国では古くから、王様になるための嗜みとして「琴棋書画」を子どもに習わせていたといいます。「琴」は音楽、「棋」は囲碁、「書」は書道、「画」は絵のことで、王様になるために囲碁の勉強もしていたんですね。
紀元前770〜前221年ころの春秋戦国時代には戦略、政治、人生のシミュレーションゲームとして広まったといわれています。三国志に登場する蜀の武将関羽は、戦いでケガをしたとき、囲碁をしながら医者に傷の手術をうけたという話があります。
遣唐使によって運ばれてきたといわれる囲碁
では、日本ではいつ頃から囲碁が広まっていったのでしょうか?
囲碁が大陸から日本に伝わった時期ははっきりとわかっていません。奈良時代(710-794)に吉備真備(きびのまきび)が遣唐として唐から持ち帰ったという話がありますが、それ以前から日本には囲碁がありました。636年の「隋書・倭国伝」には日本人が囲碁を好むことや、701年大宝律令・僧尼令などにも囲碁のことが記されています。
「隋書・倭国伝」は、裴世清(はいせいせい)が608年日本に来ていろいろなことを調べ体験したことを記録したもので、そこには「倭人(日本人)は仏法を敬い、(-中略-)、囲碁、すごろく、バクチの戯を好む」と記されています。
「大宝律令」の中にある「僧尼令(そうにれい)」には、スゴロクやバクチを禁止するが、碁琴(囲碁)は禁止しないという法律が決められました。
囲碁は貴族から武士へ
また、聖武天皇(701-756)の遺品や当時の記録・品物が多くおさめられている、奈良の東大寺大仏殿の北西にある正倉院には、碁盤が3面、碁石は2組保存されています。その中でも、「木画紫檀棊局」という碁盤がもっとも有名です。
平安時代には、紀貫之らがまとめた「古今和歌集」、紫式部の「源氏物語」、清少納言の随筆「枕草子」などにも囲碁が登場します。公家や僧侶たちを中心にした貴族の社会でも、囲碁が好まれていたことが分かります。
鎌倉時代(1192-1333)、室町時代(1338-1573)は、貴族の社会に広まった囲碁は、武家社会やさらに農業、商業の人々の間にも広まっていきます。宮廷、貴族の間で広まった囲碁が、武士、僧侶などの知識階級から、農業、商人の間にも広まっていきます。1199年には玄尊(げんそん)が囲碁の戦術や礼儀作法、取り決めなどを書いた日本最古の棋書ともいわれる「囲碁式(いごしき)」を定めました。当時の文学として歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」「太平記(たいへいき)」、 また吉田兼好(よしだけんこう)の随筆「徒然草(つれづれぐさ)」などにも、囲碁に関わる記述があります。
歴史的人物も興じた囲碁
安土桃山時代(1573-1603)には、1578年に織田信長が上洛した際に、囲碁の名手として名を馳せていた日蓮宗僧侶の日海(にっかい)を引見し、その碁を見て信長は日海を「名人(めいじん)」と称えたという逸話があります。これが「名人」の名前のはじまりといわれています。日海はお寺の中にある「本因坊」という塔でくらしていたので、のちに本因坊算砂と呼ばれるようになります。近世の囲碁の歴史は、日海から始まるといってもいいですね。
日海は信長、秀吉、家康に囲碁をもって仕えました。信長の亡き後天下をとった豊臣秀吉は、1588年に囲碁が強いといわれている人たちを全国から集め、御前試合をおこなったといわれています。ここで圧倒的な強さで優勝したのも、本因坊算砂でした。これにより算砂には「朱印状」を与えられました。これが日本で最初の公認プロ棋士が誕生した瞬間です。
江戸時代に入ると、徳川家康が家元制を作り、そのうえに碁所を置いて、算砂は初代家元制のリーダーとなりました。これ以降、家元制は1937年本因坊戦が始まるまで続き、江戸幕府の保護政策により囲碁は国技となりました。1626年には家康の命令により「御城碁」が始まりました。御城碁は年に一度、江戸城内で開催される公式試合で、一局の碁を何日もかけて行ったといいます。御城碁は徳川幕府が崩壊するまで、約200年以上も続いたのです。
戦後復活した囲碁人気
明治維新後は、幕府の後ろ盾を失った囲碁界は低迷期に入りました。その後、1878年「郵便報知」という新聞に初めて碁譜が掲載され。それからは様々な新聞に囲碁欄が設けられました。そして1924年、大倉喜七郎男爵の呼びかけによりプロ棋士が集まり、日本棋院が創立されます。
太平洋戦争が終わり、昭和30年以降は、各新聞社によるプロ・アマチュア棋戦が開催され、テレビで囲碁番組の放映も始まりました。1973年には、学習指導要領の改訂にともなって必修クラブが導入され、囲碁が小中高生に広まります。そして1977年に「高校囲碁選手権」が、1980年には中学生以下の「少年少女囲碁大会」もはじまりました。これらの大会からは、現在の棋聖や名人などをはじめ、トップ棋士がたくさん生まれているんです。
世界にもたくさんのファンがいる囲碁。将棋人気の中、ちょっと影を潜めている感じもありますが、とても歴史のある娯楽の一つです。皆さんも囲碁を嗜んでみませんか?
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