供養とプラス思考

公開日: : 考え方

815日ということで首相談話が出て早速気の早いまとめサイトが海外の反応などを記事にしたりしていますが 一般的にはお盆で里帰りして渋滞に巻き込まれたりしているのではないでしょうか?私もご多分に漏れず新幹線では立ちっぱなしでした。

ところで皆さんもお墓参りなどしていると思いますが『供養』ってなんですかね?

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ご先祖様とか亡くなった肉親がお盆で帰っているので、食べ物をお供えして食べてもらう、そんな感じですよね。

私の知っている住職さんによれば『養い供えること』だそうです。

※念のため断っておきますが、私は信仰心といったものにはほぼ無縁な人間です。

では『何を』養い供えるのでしょうか?

それは『慈悲の心』なんだそうです。

といっても大げさな事じゃなくて、ご先祖様とか亡くなった人が後の世で無事安楽でありますように、自分の周りの人達や自分自身が幸せですごせますように、といったところから始めて命のあるものが幸せでありますように、という慈悲の心を養う機会にすること。

なんでそいういう機会をもうけないといけないかというと

体も普段使ってないとなまってしまうように、心もトレーニングしていないと、いざというときに助けてあげたり、思いやってあげたりできなくなる。考えずに反復しているだけだと、そこにどんな人の想いがあってその行動になったのかということが斟酌できない、いわゆる『空気読めない(KY)』人になってしまいますよ、と。そう言う状態だと、不満やいらだちがつのって自分自身も支えられなくなりますよ、いうことだそうです。

確かに仕事でもありますよね、ルーチンが出来上がって合理的になったけど、それを守ることに必死になってしまって「なんでできないんだ」とはまり込み、そもそもなんでそのルーチンが必要だったのかを忘れてしまったり。

でもって、『情けはひとのためならず』というように親切というものは巡り巡って自分に帰ってくるもの、なんていういい話もありつつ最終的に自分を守るのは己の行いですよ、ということで。

営業などという仕事をしておりますと、うまく行く事もあれば、その何倍もうまくいかない事があると思います。私も同じです。先日もお盆で帰ったおりに友人達と飲む機会があったのですが、同期の出世頭(社長)も大事なことは「向いてる、向いてないはとりあえずおいといて縁があったと思って懸命にやってみる」「信じる。」「ゆるす。」というような事を言っておりました。

結論として、自分だけでなく、まわりのことに心を配って(おお、心配という熟語になったではないですか!)プラスに考えていく、ということですね!

※私もなかなか出来ないんですけどね。自戒もこめて。

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浄法寺亘

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