聖武天皇の功績
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最終更新日:2021/06/28
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奈良の東大寺で【聖武天皇は未曾有の危機にどう立ち向かったか】
皆さん、こんにちは。
聖武天皇というと東大寺や大仏を思い起こす方もいると思います。
とても有名な日本の天皇です。
聖武天皇が即位した時代、日本は危機的な状況にありました。
今も、コロナがはやり、国内だけでなく海外も大変な状況が続いていますね。
昔も今も、疫病と人類の歴史はきっても切り離せないものがあります。
それでも、克服し、強制してきて今に至ります。
聖武天皇の時代に話を戻すと、
大地震に飢饉、更に疫病(天然痘)では、
当時の人口の3割が無くなったといわれ、その死者数も150万人にも及んだそうです。
3割の人口がなくなるとうのは、非常事態どころではないくらいの
非常事態ですね。
疫病では、国家の重職についていた藤原四兄弟も亡くなり
更に、天皇の身内からも、貴族からも大小の反乱が国を襲いました。
当時は、様々な災いは天皇の治世が良くないためと考えられていたとも言われ、
聖武天皇はさぞ心を痛めていたでしょう。
そこで、 ①全国に国分寺・国分尼寺をつくり、祈りをささげる。 そして、悲田院、施薬院をもうけ福祉にも力をいれます。 これは、聖武天皇の后である、光明皇后の進言によるものではないかと、言われています。
光明皇后は、自ら病人のお世話をしたり、時には体も洗ったりし、民に慈愛を注ぎました。
自ら、が民と共に働くというのは、素晴らしいことで、
そのために、多くの民に光明皇后は慕われたそうです。
その功績をたたえる寺院もあります。
②墾田永年私財法
新しく耕した田畑は自分のものになるとし、開拓を促進します。
これは、今でいえば規制改革に当たるでしょう。
飢饉も襲っていることから、緊急性が高い対策であったと思います。
③東大寺の大仏を創ったこと。
地震、疫病、飢饉に内乱が続く中、社会の安寧を願い、祈る場所を創りました。
特に、建立に当っては、天皇自ら、民衆と共に作業を行ったと伝わっています。
これについても、労働の対価が少ないなど、不満が民衆の中で沸き起こり
奈良時代から平安時代へ以降した一つのきっかけにもなりました。
④遷都を繰り返し行った。
収まらない社会の厳しい状況を、なんとか打破したいと4回も
遷都を行っています。
このようなことをして、危機を救おうとしました。
結果としては、聖武天皇の御代で収まる事なく、
やがて奈良時代から平安時代へと移って行きます。
色々対策を立てたわりには、成果はどうなのか?
疑問を持つ方も多いでしょう。
私は、手を打っていなければ更に大混乱に至ったのではないだろうか?と考えます。
今の時代も激動期です。
古に学び、それを活かす。
温故知新、心掛けて行きたいですね。
どの時代でも、厳しい社会状況になると公共事業のようなものが
行われて、それが後世にまで残っていることはあります。
奈良の大仏もその一つですが、
修学旅行で行く機会がある方も多いと思いますが、
聖武天皇の時代と今の時代。
どのような背景があって、できたのか?
このようなことは、知っているとまた
歴史も楽しめると思います。
石川博信
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