海賊とよばれた男 出光佐三を支えた日田重太郎
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出光佐三と日田重太郎
石炭から石油の時代を見据え、
出光佐三を独立からその後も
影に日向に支え続けた、日田重太郎がなければ、
「海賊と呼ばれた男」として社会に知られることはなかったかもしれません。
日田氏と佐三は、佐三が学生時代に日田氏の会社でアルバイトをしていたことで知り合っています。
まだ26歳の佐三に、
「君は独立したいと思っているんだろう。その資金に困っているのだろう?」
続けて
「京都にある家が売れたんでね。そのうち6千円程、君にあげようと思っているんだ」現在の価値で8千万円ぐらい。
「あげる代わりに条件がある」
その条件と云うのは...
・この金は、君にあげると決めたのだから、
返す必要はないという事。
・自分は事業が解らないし報告もいらないが、
初志を貫いて終始一貫する事。
・これから独立する店の従業員も全て
家族の一員として仲良くやっていく事。
・この事は誰にも言わない事。
独立を果たした佐三も、中々思ったように事業は伸びず
厳しい状況が続き、もう2ヶ月で会社は持たないというときも
日田氏は、また協力しようといってくれました。
今度は、自宅を売ろうというのです。
そして絶対に事業を諦めてはいけないと言われます。
佐三は、日田氏の心意義に、そこまでして・・と発奮し
石油の売り方を、「海上で漁師に直接売る」という方法を
考え出し、これが当り事業が大きく拡大していきます。
陸上では、販売カルテルがしっかりしていて
中々入り込めない販売先も、海の上で漁師に
しかも、それまで使っていた灯油より安い軽油を
売るということを行いました。
漁師からしても、値段も安く
漁の最中でも、燃料がなくなれば一度帰還しないと
ならないわけですが、
そのような心配も要らなくなる。
このアイデアは、
もう会社が厳しい、しかし日田さんがまた支援してくれるといっている。
正義感の強い佐三は、精神的にも本当に追い込まれていたと想います。
しかし、やるしかない!
本気のときに出てきたアイデア。
そして従来の行動力。
これが、もう一つの出光が成功した原動力だと思います。
そして、海の上での営業攻勢が凄く
「海賊」と呼ばれるようになります。
その後も幾多の苦難を乗り越えていきましたが
きっと佐三の胸には、いつも日田氏の想いが
一緒にあったのだと思います。
日田氏が亡くなった時に出光では「社葬」として
厚く日田氏を弔いました。
素晴らしい才能や志があっても、世に中々出れない。
きっとまだまだ、そのような方はいると思うのです。
私たちが行っている
【障がい者アーティストが創る世界へ届けたいバイリンガル絵本プロジェクト】は
才能を開花させたくても、中々そのきっかけがない。
そこに、少しでも光を当てて、ここにいる方々と進めたいと
考えています。
今まで暖かいご支援を頂いた皆様には感謝しか御座いません。
才能を開花させ、良い社会にするための賛同を心より
お待ちしております。
石川博信
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