ペリーを驚かせた日本人 板良敷朝忠(いたらしきちょうちゅう)
公開日:
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最終更新日:2021/04/01
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ペリーを驚かせた日本人
板良敷朝忠(いたらしきちょうちゅう)
歴史の表舞台には出てこないがすごい人物が琉球にいた。
ペリーは日本に来る前に琉球に立ち寄っている。
日本や琉球の出方次第では植民地にしてやろうと
いうくらいの勢いでやってきたペリー一行であったから、
交渉のテーブルでは大国の威信と武力でさぞ横柄な態度であったに違いない。
その交渉の席にいた琉球役人の一人が板良敷朝忠(いたらしきちょうちゅう)。
ペリー一行との交渉では、通訳がいるわけだが交渉の席に、
通訳以外に言葉もまして世界情勢やアメリカのことも知らないであろうと馬鹿に仕切っていた。
(ペリーサイドは英語を理解する人は皆無と思い、言いたい事言っていた。)
ペリーも驚いたでしょう。
板良敷朝忠(いたらしきちょうちゅう)
板良敷朝忠は、通訳を介さず突然、英語でペリー相手に国際法、世界情勢、
アメリカの状況を話しペリーを驚かさせた。
実は朝忠は中国に留学しており、列強の動き、英語・フランス語・中国語が出来た。
ジョン万次郎も琉球経由で日本に送られているが、
この際にアメリカや国際情勢について知見を得たと考えられる。
彼はペリー一行の狙いを探り、
「日本が少しでも攻撃を仕掛けてきたら即占領。なければ通商交渉をする。」
という、聞き出していたペリーの本音を書簡にし、時の老中阿部氏に送り報告していた。
幕府はペリー到着の際には目的もしっかり解っていたので、
万全の状況で交渉につくことができた。もし彼の書簡が届かず、
幕府がペリーに攻撃を仕掛けていたらどんな事になっていただろうか?
彼は日本の危機を救ったと言えるのではないだろうか?
ペリーは最初に会った日本人のインパクトがとても強かったらしく、
部下に「この国のサムライはとっても勇気があり知識もある。」
と漏らし、占領政策ではなく通商条約にしたことに満足し、
幕府との交渉ののち再び琉球に立ち寄っている。朝忠にお礼を言うためであった。
しかしペリーと朝忠は二度と会うことはなかった。
朝忠はその後琉球版安政の大獄に遭い、
琉球を離れ薩摩の島津斉彬に招聘されたが、
移動中の海上で謎の死を遂げた。
歴史に「たら/れば」はないが、彼が明治新政府にいたら、
また違った国造りになっていたのかもしれませんね。
能ある鷹は爪を隠す。
とは彼の為の言葉のように思えます。
彼のように日本には、表舞台に出ない偉人も多くいます。
皆さん、もし知っているお話しがあれば是非教えてくださいね。
石川博信
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