安房神社と洲崎神社
公開日:
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最終更新日:2021/02/28
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安房神社
千葉県にある
天太玉命(あめのふとだまのみこと) – 忌部氏(斎部氏)祖神。
神話時代に阿波地方(現在の徳島県)から渡ってきた忌部氏(いんべうじ、斎部氏)による創建といい、
「安房」の国名・社名はこの阿波忌部の移住・開拓から起こったといわれています。
阿波地方(現在の徳島県)から渡ってきた忌部氏(いんべうじ、斎部氏)による創建で
「安房」の国名・社名はこの阿波忌部の移住・開拓から起こったといわれる。
古代の安房国はアワビの貢進地として朝廷から重要視され、
安房国の中心的神社である安房神社もまた古くより重要視された。
アワビの言葉に意味がある。
これは、新嘗祭でもアワビの干し物が奉納されるが
言霊的な解釈では
ア行は天の御柱
ワ行は地の御柱
という、言霊の中でも大変重要な意味があるという。
ビというのも、ヒのヒ。
これは重音といい、言葉の上位概念を示すもの。
ヒは霊と読み、ビは霊の霊という意味を持つ。
重音では、
ハハがババになれば、母の母。つまりおばあさんになり、
ちちがジジになれば、父の父。つまりおじいさん。
このような解釈をしていきます。
閑話休題
忌部氏遠祖の天富命(あめのとみのみこと/あまのとみのみこと:天太玉命の孫)は、
各地の斎部を率いて種々の祭祀具を作っていたが、
さらに良い土地を求めようと阿波地方(現在の徳島県)の斎部を率いて東に赴き、
そこに麻(アサ)・穀(カジノキ)を植えた。
何故、この地が良い土地と知っていたのか?
古代には、現在の我々が想像できないような
情報網や船などの交通手段が発達していたのかもしれません。
天皇の祭司に関係する一族が、
当時は当然船での移動できたと考えられますが、
海の知識もなく、目的地の知識もなく
冒険心だけでくるとは思えません。
安房の国は不思議で
一之宮とつく神社が二つあります。
ちなみに
①大宝律令(701年)によって制定。一宮は国(当時の行政区)で一番有力な神社
②朝廷から格別の扱いを受けた神社
③官幣大社が一番の社格であり、国幣大社と分けられている。
安房神社は最上の位を与えられた場所です。
旧社格は官幣大社。
安房神社が一之宮ということはわかります。
もう一つが洲崎神社(すのさきじんじゃ)です。
千葉県館山市洲崎にある神社で安房国一宮とされた。
天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)
安房神社祭神天太玉命の后神で、元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」
この神社は、安房神社の御后神ですが
どうして、こちらも一之宮になったのか。
これは
源頼朝が関わってきます。
日本で初めての武家政権を創った源頼朝
石橋山の合戦で敗れ海路で安房の地へ避難していたのです。
家臣数名に支えられて辛くも逃げ延びた安房の地で、
頼朝は「もう一度チャンスを!」と再挙を期して参拝をしました。
洲崎神社
注連縄には久那土神のお札が飾られています。
久那土神とは、鹿島神宮や香取神宮の神様を引き連れた
茨城県の息栖神社と同じ神様かもしれません。
そうすると、ここには
塩土老翁神がやってきたかもしれませんね。
洲崎(すのさき)とは、
言霊でいうと
スが中心音になり最初の音、音なき音スー、ススス・・
からアーが始まったとされています。
その
ス より先。
スは言霊では、宇宙に最初に鳴り響いた音とされています。
更にその先、という意味にも取れますね。
あくまでも言霊学上ですが。
宇宙創成のその先とは、と想像すると面白いですね。
見上げてしまうほどの階段です。
一段とびでいきましたが、途中で2回休憩しました。
なんと日時が八月二十八日です。
再び開く!と再興を期すにはピッタリの日であったのでしょう。
源頼朝の足跡が残ります。
ここは洲崎神社から少し離れた位置にあります。
鎌倉幕府を開いた源頼朝
石橋山の合戦で敗れ海路で安房の地へ避難していたのです。
家臣数名に支えられて辛くも逃げ延びた安房の地で、
頼朝は「もう一度チャンスを!」と再挙を期して参拝をしました。
この時頼朝が向かったのがこの洲崎神社です。
この地から再興を期してやがて武家政権を創るわけですが
それもあり、千葉県には頼朝の伝説が各地にあります。
またこの地で、再興を期したわけですが
そのお礼に
洲崎神社は頼朝から「神田」の土地を奉っています。
洲崎神社は、頼朝からすれば天下統一の願いを聞き入れてくれた神様ということでしょう。
神田明神はここが発祥地
後に、江戸城を築きあげた太田道灌は洲崎神社を勧請して、
城の鎮守(今の神田明神)にしたそうです。
ここに伝わるのが
みろく踊り!!
こちらもご神体の御神石です。
奥に見えるのは、御手洗山です。
どこが、三輪山に似ているような
(規模は小さいですが)
ここには、修験道の開祖 役行者も来ている。
洲崎神社社伝によれば、養老元年(717年)大地変のため境内の鐘ヶ池が埋まり、
地底の鐘を守っていた大蛇が災いしたので役小角が7日7夜の祈祷を行い、
明神のご神託により大蛇を退治して災厄を除いたのだという。
(役行者)役小角が海上安全のため浜鳥居前の海岸と横須賀の安房口神社に御神石を1つずつ置いたなど、
洲崎神社には修験道の開祖である役小角にまつわる伝承が多くある。
これより、洲崎神社が古くから神仏習合思想や修験道の影響を強く受けていたことを物語っているとされる。
こちらはWIKIより。
安房神社も洲崎神社も
とても重要な神社であったことは間違いありません。
再興を期す。
原点を見る。
こう考えたときに良い神社だと思います。
石川博信
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