信長の慈悲の心
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戦国時代に来日していた宣教師のルイスフロイス
今日は織田信長について書きたいと思います。
信長というと、皆さんどのようなイメージを持ってますか。
苛烈で、独創的で、そんなイメージはないでしょうか?
もちろんそれも一面かもしれません。
信長が活躍した戦国時代。
大勢の海外から宣教師が来ていました。
その彼らは信長のことをどう見たんでしょうか。
その一つの記録に非常に正義感が強く、そして慈悲深い人であった。
という記録が残っています。
ルイスフロイス 日本史 全12巻あります。
もちろん、それ以外でも
作戦を立てる上でも、事細かなところまで計算していた、という記述もあります。
このようにいくつかの信長を評する言葉が残っています。
そんな中で今日ちょっとお話したいのは、
信長の慈悲深さっていうところを伝えていきたいなと考えています。
それは、山中の猿ということでも有名なんですけども、
信長が岐阜を収めるようになってから、やがて京都に上洛するんですよね。
次の将軍へ足利義明を擁立し京都へ行き、岐阜から京都へ移動のときに1人の乞食がいたんですね。
これは障害を持ってる方ということが後にわかったんですけども、
信長が何度も岐阜と京都を移動する際に、その山中の猿と言われる乞食で障害を持った方がいつも同じ場所にいるとわかり、
信長は哀れみを思ったんですね。
あるときに、村を通りかかって、村の住民長老たちを呼んだわけです。
長老たちは、何をされるんだろうと非常に怖かったそうなんですね。
ところが信長は、木綿20反をあげるという。
今で言ったらどうでしょうか。
家1軒じゃきかないぐらいの金額になると思いますけども、これを、村の長老たちにあげた。
何をしたかというと、障害を持ったの山中の猿と言われる方をですね、
まず住ませる家を作ってあげてほしい。
それから、餓死しないように食事も与えてあげてほしい。
そして、麦の季節には麦を、お米の新米が取れるときは新米を一度や二度は与えてあげてほしい。
そして見守ってあげてほしい。
これは信長の切なる願いだということを告げるんですね。
このお話は宣教師たちにも伝わっていて、
この当時の社会の中では、とても有名な出来事ではなかったかなと。
このような慈悲の心は非常に強かった信長も、
歴史の教科書では残虐で、独裁的だというように教わることが多いかもしれません。
いや、1面は確かにそういったところもあったかも知れませんね。
しかし、そこばかり見ていると、歴史というのは見誤ります。
それは今の社会情勢であっても、全く同じことが言えるんじゃないか。
こんなことを考えてます。
信長というのは、中世から近世という時代の扉を開けた。
本当に日本でも指折りの偉人だと思うんですよね。
ときに今、信長がいたらどのようなことを考えて
どういうことを実行するのか。
考えてみても面白いかも知れませんね。
石川博信
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