激動の時代 信長の戦略に学ぶ
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最終更新日:2022/11/15
偉人伝 ものの見方
日本には信長がいる。
どのような発想、行動をしたか。
日本の偉人の中でも一際輝く偉人だと思う。
戦国時代の英雄 織田信長
その斬新な発想と行動力で小さな小国から天下統一まで
後一歩のところまでいった。
信長の発想は、当時としては斬新でありながらも
民には慕われていたことからも分かるように
苛烈さが目立つが、民に優しい政策をしていった
ことでも知られている。
今の時代にもし、信長が自分と同じ立場であったら
どのような戦略などうっていくか?
考えていくことも有益な方法と考える。
それは、戦国時代には数々の名将、智将と言われる武将も
存在したが、織田信長だけは
唯一、時代そのものを変えた
中世から近世への窓口を開いたと言える武将だからです。
信長は当初、尾張(今の愛知県)で出生し
その半分ほどの領地をもつ戦国大名の子供として生まれた。
大小50位の大名で群雄割拠をしていた信長が生まれた当初
信長の領地を自社(自分)で考えてみると
例えば、中小企業であったとしてこの小さい領土で
しかも近隣には強国である、今川、斉藤すこし離れているが
武田信玄、などが周囲にはいる。
今の経済での競争とは違い、まさしく命のやりとりの時代。
小は大に従うか飲み込まれることが常であった。
最終的には、信長は天下統一の寸前まで領土、影響力を広げたが
大切なことは
何故、これほど小さい勢力だった信長が
大大名と言われる大名を従え
天下統一間際までいったかということですね。
今でいえば、地方の小さな企業が瞬く間に日本制覇、業界制覇
ということに近いですね。
いづれにしてもすごいことには違いありません。
信長がなくなった間際の勢力図
今見ても、わずか20年程度でここまで
と畏敬の念がうまれますね。
信長の天下統一までの間には幾つかの難関が待っています。
その中で、一番大きかったのは
信長の名前が一気に全国区になった
桶狭間の戦いが筆頭でしょう。
大勢力の今川義元、そしてドラマでは凡将のような
描かれているケースが多いですが
実際は非常に強く優れた武将であることが分かっています。
仔細は省きますが、あの武田信玄や北条氏康と三国同盟
を結んでいます。
これをみても分かるように、戦上手で知られる信玄や氏康も
義元とは、戦ではなく同盟をしたほうがよいと
判断するに値する武将だったと言うことです。
大勢力であり、優秀な武将であった今川義元を討ち取った
桶狭間こそ信長原点であり、命懸けの戦いでした。
大勢力に挑むには一点突破しかない
これをしっかりやった。
一点突破ということを徹底していた。
唯一、少しだけ美濃側に少しだけの兵を残したきりで
文字道理、一点突破へかける。
当時の戦いでは、大将首を取れば戦いは終わりです。
しかしもし取ったとしても
戦場では敵兵に溢れている。
できるだけ速やかに首を取り、すぐ戦を終わらせることが
必要であった。
そのための練り上げた戦略を考えていた。
義元が討ち取れる可能性がある状況になること
を待ち続け、ついにその機会はやってきた。
この状況を知らせたものこそ
桶狭間の戦いの恩賞第一人者となった
梁田政綱であった。
極めて異例のことであった。
それだけこの情報を重要視し、評価していたと言える。
通常は、敵将の首をとったものが大きな恩賞を
貰うが、信長はそうはしなかった。
一つは圧倒的に少ない人数で戦うので
義元本陣のみへの突破へ
全兵力を集中させた。
(他のところへは力をさかない、それでないと討ち取れない)
更に、昔は敵の首を討ち取ると、その首を持ちながら
戦いつづけた(これは後ほど恩賞の対象になるからである)
これを禁止。(動きづらくなるため)
敵将の首以外は恩賞に値しないとお触れをだす。
更に、非常用食料を各隊だけでなく
各人へも携帯させた。
(迅速に戦をするためである)
本陣付近へ行くと
弓だけでなく、当時の最新鋭武器である鉄砲を
打ち込んだ。
これは、奇襲攻撃により敵陣を混乱させることの一つで
まだまだ普及していない最新武器の威力を
敵味方へ示すことで
驚きとともに敵兵が混乱することに大きな役割を
果たした。
*後年であるが、兵農分離ということを行う
信長であるがこのときはまだ、出来ていない。
そして、混乱を招いた隙に乗じて
見事敵将の首を討ち取った。
信長の一点突破
見事ですね。
現代でいえは、
窮地に陥ったときには、
一点を突破することを考え
しかる後に、次の展開を考える。
実際に信長もビジョンはあったと思われるが
まず、目の前の危機を乗り越えてから、という考えだった。
この桶狭間は
危機に陥ったときの対応
小が大に勝つ方法として
いつまでも良い歴史上の教訓でありますね。
信長という、時代を創った武将に
学ぶことは大いに役立つと思います。
信長の戦略は、驚くような戦略としてというより
極めて、地に足がついた戦略が多いことにきづく。
しかし、分かっていても中々できないということでなく、
実践していく力も注目に値すると思う。
小が大に勝つときに大切な、
一点突破を図るということなども
その典型でしょう。
激動の時代、信長に学ぶことは沢山ありますね。
信長の戦いはやがて、奇襲作戦ではなく
じんわり攻める長期的な視野にたって行われていきます。
当時は、天守閣という立派な城はあまりなく、
あっても山城にあったものを
平地につくっていった。
特に、領国争いをしている近場に、城というか出城をつくり
それもわざわざと思える立派なものを作った。
それは、隣国の住民に圧倒的な威圧感や、
出城でさえ、こんな立派というとは、
相当力があるとわざわざ見せていた節がある。
雰囲気というものも大切にしていたことがわかります。
日本には様々な偉人がいますが、
激動の時代、信長の戦略は学べることが多いですね。
石川博信
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