織田信長の領国経営は理念経営
公開日:
:
最終更新日:2021/09/23
偉人伝 ものの見方
織田信長の理念経営を行っていた
信長というと、冷徹、残虐のイメージがある方もいるかもしれませんが
実像とは随分かけ離れているのかと思います。
これは戦国時代に日本に来ていた宣教師が書きとめた書簡の一部ですが、
信長のことをこのように書いています。
大変勇敢で、不撓不屈でよく訓練を行う。
正義や慈悲を重んじる。
事業の采配の完璧さに対して思慮深い。
諸人からきわめて畏敬されている。
身分の低い家臣と話をし冗談も言っている。
宣教師ルイスフロイス 信長の近くにいてその人となりを書き留めた
戦国当時にフロイスが書いた手紙をまとめた日本史
日本人のイメージする信長像とまた違う一面も見られる貴重な資料です。
信長は当時、尾張(愛知県の一部)の半分ほど領地を持っていた
織田家に生まれやがて家督をつぎ、天下統一まで後一歩のところで
部下である明智光秀の裏切りにあい、亡くなってしまうわけですが
時は激動の時代にあって、小さな領主にすぎない信長が何故、天下統一まで
あと一歩のところまで上り詰めたのか?
ということです。
有名な桶狭間の戦いがありますが、この当時の大大名といえば
今川、毛利、武田、上杉、北条といったところでしょうか?
現在でいえば業界のトップ5という所ですね。
これらよりも、領地でいえば10年程で凌駕してしまうわけですから
只者ではないということは理解できますね。
信長の天下への道筋では幾つかのターニングポイントがありますが、
そのひとつが、美濃攻略にあったと考えられます。
今もそうですが、尾張に愛知というのはとても恵まれた土地で
信長が尾張を統一し隣国である美濃も統一したときには
両国合わせて100万石をこえて、大大名といってよい
大きな力を持ちました。
ここでの選択が大きなポイントになっています。
大大名として、隣国を少しずつ切り取り、リスクを犯してまで
天下統一に動かずともそこそこの地位は保てたのです。
しかし、信長はそれをしなかった。
この美濃を攻略した時に、地名を岐阜と改め
尚且つ、立志を行います。
これが有名な天下布武です。
一見、武力で天下を統一するのだ、というように見えますが
事実は大きく異なります。
このとき 信長は34歳
自分の名づけ親でもある沢彦和尚に、地名と自分の持つ朱印を
依頼していた。
沢彦和尚が、朱印にという選んで持ってきたものが
天下布武という文字であった。
「天下布武」という旗印(志)を掲げる。
天下に七徳の武を布く=天下泰平の世を創る決意表明
武という文字元々は矛を止める、つまり戦いをやめるということであり、
天下の七徳というのは、
暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、
民を安んじ、衆を和し、財を豊かに
このような意味があると信長に伝えたところ
非常に喜び、これを旗印(志)にし、朱印にした。
苛烈なイメージの信長であるが、民衆にはとても人気があった。
社会不安が多い中で、規律を正させたり、税金も安く、民の暮らしを考え
実行していった。
規律というのは、武士にも、民衆にも規律、ルールをしっかり守ることで
社会秩序が保たれ結果、安心して暮らせるというものである。
また、楽市楽座の実施は最たるもので、経済力をつける狙いもあったが
天下布武にある、民を安んじ、財を豊かにということを
実践していった賜物である。
自分こそ天下人に相応しいと実際思ったかどうかは分からないが、
天下人に相応しい、旗印(志)、理念とそれに沿った行動は
出来るはずだとは思っていたでしょう。
自分の為ということでなく、天下のためにという大義名分があり
実際に自分の領地でいえば、楽市楽座の実施であれ、関所の撤廃であれ
税軽減でありやっていたのだから、領民から慕われているということも
理解できる。
また、楽市楽座の効果で諸国のあらゆる人が信長の領国内にくると
その治世の違いに、人も領国に集まるようになってきた。
人も、モノも、情報も、結果カネも集まるようになってきた。
そうして益々国力が上がっていった。
このような領国経営は信長をおいて他になく
革新的であるが、
天下布武という志、理念を
具現化していく結果として他の大名にはない
様々な政策も生まれてきた。
理念、志という自分を越えた社会の為にというものを
つかみ、それを具現化しようとしたときにはきっと
凄い力も生まれるのでしょう。
信長に学ぶことは多々ありますが、
理念経営、立志してからどのように動いたか?
という点を見ても面白いですね。
石川博信
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