出光佐三 大家族主義経営を貫いた反骨の経営者
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最終更新日:2019/05/24
偉人伝 ものの見方
出光佐三 大家族主義経営を貫いた反骨の経営者
これほどわが道を行くという言葉があう男はいないでしょう。
エクソン、モービル、ロイヤルダッチシェル、BPなどメジャーと
呼ばれる欧米の国際石油資本と対抗し、あくまでも民族資本での
石油事業を行い、独立独歩を歩んだ出光佐三。
大家族主義、少数精鋭主義など、彼が掲げる経営方針はユニークさも感じるが
このスタイルこそ今日の出光を創ったといえるでしょう。
20歳そこそこの若者が裸一貫からスタートし、支援者などにも恵まれながら
数十年後には民族資本の最大手の石油会社に成長。
自分を犠牲にしてまでも時には、利益よりも事業本位でうごいたり
した独特のスタイルは戦前の国策にも関わっていたことも影響しているでしょう。
元来の反骨精神に磨きがかかり、時として国とぶつかってまでも
利益よりも得意先を優先した姿勢で多くの信頼を勝ち取り今日の繁栄につながって言ったのでしょう。
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小さなことをやってなければ大きなことは出来ない。
少年時代に外交官を夢見ていた出光佐三であるが父に
「役人になると辞令一つでどこでも飛ばれる。自分の考えでやれることなど
ほとんどない、そんな仕事に何の価値があるのだ」
そうさとされて、出光佐三はそれならば、商売をやってみようと
神戸商業に入学した。名門校であり、卒業すれば大手企業への就職も
十分できる学校であった。
しかし、「小さなことをやってなければ大きなことは出来ない」
と考えた彼は、あえて小さな商社、酒井商店で奉公人の道を選んだ。
酒井商会は、石油と小麦粉を扱っていた。
周りからは、何故そんな小さい商社に入るのか?と反対されたり
中には、神戸商業の面子つぶしだ、といわれたこともあったが、
友人たちには、「お前が重役になるのが早いか、俺が独立するのが
早いが競争しようじゃないか」
そんな啖呵を切ったことから彼の反骨精神が伺える。
しかし、酒井商会に入社して2年目に転機が訪れる。
実家が破産してしまったのである。
出光は家族も養うことになり、これを契機に独立しようと考えた。
しかし根本的な問題が残っていた。
資金のめどが全く立っていなかったのである。
そこに突然、資金提供をしようという人物が現れた、兵庫県西宮の
資産家である日田重太郎である。
日田は当時20歳そこそこの出光に対して、
「歩きながら話をしよう」といい、出光の将来の夢を聞いた。
熱っぽく語っていると日田は突然口を開き
「京都に別荘があるが、これを売れば8000円になる。その金を
君に提供しようと思うがどうだ」
といってきた。願ってもないチャンスに恵まれて事業をスタートしていく。
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石油販売業を始める
「まず、衣食の道だけは確保していかなければならない、
それには、毎月売れる潤滑油のようなものを」
そこで機械の潤滑油の販売から始めたのである。
社員には、
「これは難事業だ。しかしこれをやりとうせばどんな事業も出来る、
まずは試金石のつもりで進めよ」
といった。
潤滑油販売も最初は苦戦が続いたが徐々に販売が進んでいくと
中国への進出を考えた。第一次世界大戦の前のことである。
ほとんど未開拓地であった中国への進出は賭けでもあった。
こうした危険が付きまとう賭けは出光が好むところである。
ほとんど独力で中国開拓を進める出光であったが、そのうちに矛盾を
感じるようになった。
「私が石油を高く売れば向こうが損する、私が安く売れば私が損する」
という事業について廻る問題を考えるようになった。
事業を成功させたいという気持ちと、他人から摂取するようなことは
したくないという二つの気持ちが創作し、これが後の経営スタイルの
独自性につながっていく。
時代は第一次大戦に突入していくと、石油不足になることを予測し
大幅に仕入れを増やしてった。もとより需給を見極めるのは
難しいが、「自分のお客さんだけには石油不足で困らないように」
これには、顧客に大いに喜ばれたという。
そして石油が不足になり、値段も高騰する中で他社は値上げをする中で
彼は通常どうりの利益しか取らなかった。
このことが、顧客だけでなく他にも話がひろがり
「石油は出光が良い」
という評判を産み、これが一番大きな財産になった。
これは後年、出光興産が大きく成長していっても
「顧客第一」として顧客との信用を大事にするという姿勢を
貫けば、結果利益が生まれるという出光流経営にもつながっていく。
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人間が組織を使うのだ
出光は株式上場をしないことで知られていた(現在は上場している)
これは、経営者の判断を最大限に生かすために組織規模を絞りこんだ
方が効率的なわけである。
太平洋戦争の際に出光が軍部から南方占領地の石油事業を任されていた。
戦争を遂行するにあたり、「石油の一滴は血の一滴」といわれ重要品目であった。
この時代は戦争に関わる企業に関して社会的に反感を持っているものも少なくなく
特に石油を扱っている出光には「利権屋」というイメージをもっていた。
石油メジャーとの中国などでの戦いでその大きさをしっていた出光は
国策会社での石油事業の独占事業に反発していた。
あるときに、陸軍省の担当課長にあいにいったときのこと。
通常は出光に反発する陸軍の担当課長は出光には会わないのが通常であったが
このときは、旧満州から帰ってきた新任課長で出光の満州でのメジャー相手の
奮戦振りをしっており、興味をもって会ってくれた。
面談した出光は、軍部の批判を遠慮なくいった。
当時、南方に石油配給会社を設立して2000人規模の人員をそこに
投入して石油を確保していこうという軍の考えであった。
出光はこの話を聞いてすぐ反発した。それは、それだけの人員でも
機能しない組織と批判したのである。
担当課長は、
「君ならどれ位でできるのか?」
出光は
「1割の200人でできます」
驚く担当課長に対して、満州での実績や中国においては3人で間に合っている。
組織は人数が多ければ出来るのではない、と自説をとうとうと説明した。
結果、出光は南方の石油事業を引き受けることになる。
人を動かすのは、やる気だ、本氣の力だ。限られた厳しい条件の中で
何度も自分たちは局面突破してきている、という自負心もあった。
出光の少数精鋭はこのときにも効を奏している。
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敗戦から再び立ち上がる 焼け野原になった東京
終戦の2日後に社員に伝えた訓辞がある。
愚痴をやめよ。
世界無比の三千年の歴史を見直せ
そして今から建設に入れ
更に
愚痴は泣き言だ、亡国の声だ。昨日までの敵の長所を研究して
取り入れ己の短所を猛省し、
全てしっかり腹の中にたたみこんで、
大国民としての誇りを失うな
戦前は独自に安い石油を精製してメジャーの世界戦略と対抗してきたが
敗戦になると状況は一変する。
GHQによる統制が始り、それまで日本の大手であった、東燃や日本石油は
次々に外国資本に組み入れられた。
しかし、出光はどんな良い条件を提示されても外国資本の参入を許さなかった。
民族資本がなくなったら日本はどうなるのか?という強烈な愛国精神もあった。
そして石油は、GHQやメジャーしかあつかえず事実上仕事はなかった。
しかし、社員は1人も解雇はしないといったのである。
それでも、実際に仕事はない。
石油を扱えるまでは、社員一丸でできるものをやろうと、
ラジオの修理から農業、漁業から行商まで行って何とか生き延びた。
GHQ傘下での石油事業は中々突破口もなく、しかも外国資本からすると
民族資本の出光は邪魔者でしかない。
そんなときに、イランの大臣から相談を受ける。
当時、メジャーによるコントロールが効かない国はソ連圏と新興国のイランであった。
石油の販売ルートはメジャーが握っているのでイランは石油がでても売るところがない。
両者の利害が一致していよいよ、行動に移した。
メジャーの関所破りみたいなものである。
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映画にもなった海賊と呼ばれた男
もちろん簡単にメジャーがこのような行為を見過ごすわけもない。
しかし、出光は日本人として国際的にも恥ずべきことは一つもない。
ちょうど、英米が共同会社を創りイランの石油を売ろうという話が
舞い込んできた。英米が販売するなら自分が売っても何もおかしくないだろう
とチャンス到来と考えたのである。
日章丸事件である
イランからの石油調達に成功したのである。
これには、英国も「どろぼうだ!」などののしったが
出光は
「何をいっているんだ!きちんとした正当な商行為だ!」
これは裁判にもなったが、出光勝っている。
日本人としての誇りを事業に体現した出光佐三
亡くなった際に昭和天皇が民間人へ唯一歌を贈っています。
「国のため、ひとよつらぬき尽くしたる きみまた去りぬさびしと想ふ」
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出光の大家族主義は知られたところであるが、
現在の働き方改革には真っ向から反論するような
ことも行っている。
そのうちの一つが
共働き禁止がある。
これは、母が家庭を守り子育てをおろそかにすれば
家庭もうまくいかない、そしてそれは国家の損失である。
として、
共働きを禁止した。
今と時代背景は違うにしても
そこに信念が感じられるのは私だけではないでしょう。
今の時代に経営者としていたら
どのような方針をしめすのかと
考えると興味深いですね。
石川博信
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