渋沢栄一 新1万円札の顔 日本資本主義の父と呼ばれた男
公開日:
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最終更新日:2019/05/17
偉人伝 ものの見方
渋沢栄一とは 日本資本主義の父と呼ばれた男
明治維新を経て黎明期にはいった近代日本の中でもっとも重要な人物といえば
渋沢栄一ではないか?
日本資本主義の父と呼ばれた男は、自分よりも「公」を大切にしたことでも高名である。
江戸時代が終わり、明治になり渋沢が手掛けた事業は第一国立銀行設立を元、鉄道、海運、綿糸、
など多方面に行い設立した企業は500を越える。しかしただ多くの企業をつくったのではない。
明治の黎明期に勃興した財閥の三井、三菱、住友、安田などと大きく違った点は
明らかに「公」のためにという仕事だったといえる。
日本に資本主義を導入し株式会社制度を定着させたことが象徴的なことだ。
日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の業績は計り知れない。
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出資者と経営者は区分したほうが良い
渋沢は近代日本に相応しいのは一族支配の会社ではなく複数の出資者がおり
有能な経営者がその任にあたる、合本主義の経営、すなわち株式会社こそ
これからの日本に相応しいとし、自身でも数多くの事業を行ったが
あえて財閥にしなかったという所に本骨頂がある。
資本家に出資させて企業経営を他人にさせるシステムは明治初期に一族経営が主流
であった日本では革新的なものであった。
一族支配こそ企業が発展するといった三菱の岩崎弥太郎との抗争は有名だが
もし、渋沢が岩崎と同様に財閥を創っていったら日本の資本主義はもっと
遅くなっていたかもしれない。しかし、今からみれば互いに切磋琢磨して
日本の資本主義が成熟してったとも考えられなくもない。
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公共・社会事業の設立数600
企業の設立では500ほどだが、それをはるかに上回る公共・社会事業を設立しているが、
明治から大正に至るまでの社会事業は渋沢が関わったものがとても多い。
渋沢は単なる実業家の域を越えて社会事業を行っていき、それでいて当時の経済のリーダー
というのはなせだろうか?
経済や企業、そして経営にいたるまでの渋沢の考えは非常に合理的である。
しかし、利己主義かというとまるでその反対で、偽善ではなく公共心を強くもち
実際にその精神を実行に落としている
矛盾するような、2つの思考は渋沢の中ではキレイにまとまっていた。
渋沢の精神的支柱は儒教であり、この時代では多くの人は儒教を学んでいるが
渋沢はここから公共心を学んでいった。
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渡仏の2年間で新しい社会を考える
儒教という精神的なバックボーンと西洋の合理主義、政治体制、経済思想。
これらを学び、日本に合う様に公共心をもった経済活動こそが
必要だと考えた。実際に日本に資本主義の導入ということで株式会社制度の
定着を図るが、中々上手くいかず、むしろ失敗ばかりだった。
渋沢栄一が関わった企業は500を越えるほどであったが、
一企業の繁栄というより、国家全体を考え
「日本が近代化をするための戦略家でありたい」
「産業の行き詰まりを打開する問題解決者でありたい」
これが自分の行く道とはっきり決めていた。
事業に公共性をという渋沢に対して対極でのし上がってきた男が
三菱の創始者の岩崎弥太郎である。
岩崎弥太郎は、
「事業は才覚あるものがリーダーシップを発揮することで成長する」
という考えの持ち主である。
明治期の海運競争では、明治初頭それまで、欧米の海運会社が独占していた
事業を、台湾出兵や西南戦争という混乱と危険があるところへ行って出てきた
のが、岩崎弥太郎率いる三菱汽船だった。
その岩崎弥太郎と海運事業で真っ向勝負になっていく。
当時、岩崎は、海運事業に、「サービス」という概念を取り入れ
顧客に満足してもらう、喜んでもらうということを取り入れ繁盛していたのである。
渋沢は株式会社方式で政府や三井、その他民間からも出資をうけて共同運輸という
会社を創った。
どちらも負けられないと、最後には値引き競争になり政府も仲介にはいり
共同運輸と三菱汽船は政府主導により合併させられることになる。
これが日本郵船。
この会社では、退職金制度やボーナス制度など後の会社の模範的な制度を
創ったといわれている。
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若き日の渋沢栄一
日本での資本主義、市場原理を導入するということが
国のためになる。株式会社でありながら社会への公共心を保つ
経営を推進した渋沢栄一は
「論語と算盤」
をもって近代企業を設立し近代日本を創ることが何より重要とし、
事業家は事業の前に公共の福祉を優先させなければならない。
とも語っている。
個人は社会に貢献すべき存在であり、自分は祖国発展の為の召使いの
ようなものだとも語っている。
論語と算盤という一見相反するようなものであるが、これを両立させることが
事業家の使命であるとしている。
特に江戸時代から続く儒教の中には利益追求は卑しいものだ、と考える風潮や
「利は義に反する」という教えに対しても
「道徳経済合一説」を唱えて実践していた。
利益をあげるのも手段を選ばないということではなく、道義に沿ったもので
なければならない。
渋沢栄一の仲では事業倫理というのは実業家にとって最優先されるべきことで
倫理感を持たない事業は事業にあらず、人の道にあらずということを
説いている。
晩年では、公共・社会事業へ傾倒するが、
時代は帝国主義の時代になっており、力が正義という風潮に対して
大変批判的であり、道徳感、倫理感に著しく欠けていると語っている。
公共事業の中でも有名なものに
田園都市構想がある。
欧米を視察していた渋沢はその町並みの整備された都市計画をみて大変感心をし
自然と調和の取れた住宅街を創ろうと考え、田園都市株式会社、今の東急の前進である。
これを設立した。これには阪急の小林一三も賛同し、鉄道をつくり住宅合わせて
開発するというもので、これで田園調布が生まれた。
元々は中級家庭向けに作られたものだったがやがて価値があがり高級住宅街となっていく。
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お札にもなった渋沢栄一
元は尊皇攘夷の志士から始まり、やがて渡欧し近代日本資本主義をの父と
呼ばれるまでになった渋沢栄一。
後年、
「いくらでも財閥など創る機会もあった。
ただそれは、本意ではない。倫理感と経済の両立こそが
日本の進むべき道であり、その先導の役割を果たすことが使命と考えた」
志高い経世済民の人物、今渋沢栄一に学ぶことは沢山あると思う。
石川博信
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