安田善次郎 近代金融の祖
公開日:
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最終更新日:2018/04/17
偉人伝 ものの見方
安田善次郎 近代金融の祖で安田財閥の創始者
「カネは利潤を生むための資金として活用すべし」
これが安田善次郎の哲学であり、明治の黎明期に日本金融の基礎を作った。
利潤を優先する姿勢を貫き、明治の黎明期に勃興した他の企業家とは違い
生涯、金融以外に手を出さなかった。
ただ、カネに固執する姿勢から「明治の3ケチの1人」として有名になってしまった。
人生の最後は彼が築いた莫大な富に対する反発心を覚えた青年に暗殺されてしまうが、
日本の経済成長の原動力を創ったとも言える安田善次郎の功績は大きい。
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収入の8割で生活せよ
一代で財をなした安田善次郎は幕末に両替商として身をおこした。
明治の黎明期は両替商は多く存在していたが、
やがて激動を背景に十数年で金融王と呼ばれるに相応しい実績を上げたことは
特筆されることで、やはり経済の成長は金融にあるということを
若いときから体得していた。
小さな両替商だった安田は、投資先の見極める目を養えば
短期間でも莫大な富をえげられること知っており、
そこに特化することで近代金融業へいち早く成長したとも言える。
後年、財閥化するなかで他の産業への進出の際にも、
一からつくるのではなく、ある程度展開している会社を買収するという方法を
とった。いまでいうM&Aである。
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スタートは露天商
故郷である富山から上京し、両替商へ住み込みで奉公しながら
少しずつ貯金をし最初に開いたのは小さな露天での両替商だった。
創業したときに、決めたことが、収入の8割での生活をするということだった。
こうすれば自らも節制し、かつ貯金もでき、いざというときの備えにもなる。
これは生涯守っていったという。
さて、独立してから本領を発揮していく。
わずか三ヶ月の間に元手を5倍にしたのである。
ちょうど安田が創業した暮れには1年のつけを支払うシーズンということもあり
しかも、経済が不安定になっていた時期でもあった。
幕末から維新にかけての時代は数々の通貨が発行された時期でもあった。
外国からも洋銀が流入してきたのである。
日本の金が大量に海外へ流れていったというのもこの時期で、
これは日本の金と銀の交換比率が1対6という世界各国に比べて
高かったということもある。
この時期、世界各国の交換比率は1対15であった。
このようなこともあり外国商人にメキシコの銀を大量に持ち込み
日本の金交換していった。
外国商人はこの手続きをするのには日本の両替商の力を借りずには
できず、両替商もまた巨額の手数料を手に入れることになった。
同じ時期に、幕府は流通している古金銀の回収を急ぎ交換比率を
含めて経済変革する必要があった。
金融業は間違いは許されない。
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カネがカネを産む
しかし、中々この業務に手を上げる両替商は居ない中で安田善次郎は
果敢にこれに取り組んでいき
この仕事で莫大な利益をあげていった。
更に明治新政府になると財政基盤が幕府以上に脆弱だったことも
あり、無謀とも言える貨幣つくりに取り組んでいった。
太政官紙幣の発行である。
しかし、金の裏打ちもなにもないこの紙幣には民衆は戸惑い
紙幣価値がたちまちに暴落していった。
その後、新政府もこれではまずいということになり、
太政官札と金の交換が出来るようにした。
当時安田は新政府にも出入りしているようになり
庶民がほとんど価値を見出していない太政官紙幣を
大量に買いあさっていった。
これは、太政官紙幣と金が交換できるようになるという
情報を事前に得ていたということであった。
これはすざましい利益となった。
安田は、この激動期がすぎれば欧米のような銀行制度に徐々に
変わっていき、金融制度が国の経済でも大きな役割をさらに持つだろう
と考え、政府に近い立場をとりながら事業を広めていった。
明治9年には、第三国立銀行を、明治13年には安田銀行をそれぞれ
設立し、さらに地方の両替商も積極的に買収していき
瞬く間に大財閥が出来上がった。
安田が亡くなった大正期にはいると第三銀行、安田銀行、や買収した
地方の両替商も合わせて合併し富士銀行が設立された。
今ではさらに合併が進み、みずほ銀行となっている。
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時代の流れを読む
幕末から明治期の混乱は当然金融にも派生している。
この流れを良く見極めて
さらに良質な情報と取引相手を選ぶということだった。
金融業の本質はハイリスクハイリターンであるという
ことを知っていったからこそ、良い情報と取引相手を選ぶということは
リスクを最小限にする最も有効な手段だった。
若きころの安田のエピソードでは、出身の富山藩に立派な行列と籠で運ばれてきた
一段があり、どんな偉い人かと思ったが、大阪の両替商で藩にお金を貸しているので
堂々と籠できているという。
当時の封建制度が残る中でこの光景は驚くようなものだったという。
ここで、お金というのはとてつもない力を持っていると思い、
将来、身を立てるなら両替商になってお金を稼ごうと立志したという。
カネがカネを産むということに執着したが、使い方も徹底しており
無駄使いを戒めて、自らも律していたという。
通常は、お昼のおにぎりや菜っ葉など質素な料理で済ませ、
出張があるときも、一般庶民と同じ乗り物で行ったという。
このような姿が世間ではケチだと思われたらしいが、
近年ではメザシの土光さんと呼ばれた土光敏夫氏がいる。
大変質素で謙虚であり先進的な事業家といえるのではないか?
激動期という不透明な見通しの中でも、
的確な情報と取引先を選ぶことで一代で大財閥に成長した
安田善次郎。
今の時代ではどのように物事を捉えて行動するか?
やはり金融なのだろうか?
そんなことを感じました。
石川博信
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