岩崎弥太郎 三菱の創業者
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偉人伝 ものの見方
岩崎弥太郎 三菱の創業者
三菱財閥を創った創業者として有名な岩崎弥太郎であるが、
実は幕末から明治までの18年間の間の活躍で日本屈指の財閥を創り上げた。
「会社の利益は社長(岩崎弥太郎)の利益だ」というワンマン経営で政治家や官僚との
癒着を指摘されても一向構わず、力技で事業を拡大し続けたイメージが強い。
幕末に海運を皮切りに事業をスタートしたが武家の商法ではなくサービスを重要視した
仕事で、他社との差別化を図り後の三菱商事に連なるこの巨大財閥を創り
支えたのは、他社との違い、サービスを事業にどう組み入れるか?
ということだったと思う。
内外に人望を
これはサービス精神を発揮してけば事業は繁盛するという岩崎弥太郎の信念でもあった。
明治6年に三菱商会を起しまず、海運事業を選んだ。
しかし、海運事業として三菱の前に立ちははだかったのは、半官半民の日本国郵便蒸気船
といういわば国策会社だった。当時の富豪であった、三井、小野組などが出資を行い、
政府が巨額な補助金を出すという企業だった。
この会社はができたこともあって他の船会社はバタバタとつぶれていった。
通常であれば、このような国策会社がリードする業界などに事業を進めるということは
ないであろう。しかし岩崎弥太郎は自信満々だったという。
これは明確な戦略があった。
お役所体質の企業にサービスなどできるわけがない。
実際に、この国策会社を調べると武士の商法もこれきわまれりで、
船員はえばり倒し、荷物を積んでやっているだ、運んでやっているんだ!というような始末で
お客さんが船の中で小さくなっていたという。
自分たちのシゴトでは、徹底的に愛想をよくしろ!と社員に命じたものの、
元々、坂本龍馬と土佐海援隊などで武士が多い三菱商会であったので、中々愛想よく
することも、お客さんに頭を下げることも難しかった。
そこで弥太郎は扇子に小判をを貼り付け、
「人に頭を下げていると思うな、小判に頭を下げていると思え」と
社員たちを叱咤激励したという。
つまらないことにプライドを掛けるな!利益を出すようにすることが先決だ!
と、実際にお客さんと合い接客するものにまで細部まで徹底していったという。
独裁的な経営方針であったが、明治の激動期でスピードが大事な時代だ。
この方針を徹底していった。
そもそも岩崎弥太郎は、明治初期に実業を始められるだけの準備期間という
ものがあった。
それは土佐藩として外国との交渉を多く積重ねたり維新戦争の最中に
商魂たくましく商売していき培った胆力もあった。
サービスで差別化
サービスを徹底しドンドン顧客を奪い成長していったが
ここ佐賀の乱がおき、政府内もゆれ始めライバルだった国策会社の後ろ盾であった
政治家も次々に下野し、岩崎弥太郎が政府に近づきやすい環境も整った。
佐賀の乱につづき、台湾出兵もあったが、
ここで弥太郎は、政府の権力者である、大久保や大隈に近づき
政府の軍輸送を請負うという逆転勝利をしたのである。
更に輸送で使った船は政府が購入したものの、戦争が終了してもそのまま
三菱に貸与されるという条件までついてきた。さらに、ライバルの国策会社は
政変により事業運営も厳しくなり、ついに解散となり、所有していた船は
そのまま三菱に譲渡されることになった。
ついに日本一の海運会社になったのである。
岩崎弥太郎の生家
その後は日本一の海運会社を皮切りに金融から鉱山開発など
財閥の基礎となる事業を始めていくが、
出る杭は打たれるで、今度は三菱が強くなりすぎたとあちこちから非難の
声が上がり始めた。
一度は政変で失脚したモノ達やライバル会社が三菱包囲網を作ってきたのである。
そこで、とてつもない値引き合戦が始った。
当時一般的な客船は5円50銭であったが、値引き合戦の末に最後は55銭まで下がったという
前代未聞のことであった。
あまりにもひどいので政府も海運に規制を掛けることにした。
政府の手のかかる国策会社と三菱商会とが合併したのである。
この結果できた会社が日本郵船である。
岩崎弥太郎はこの最中に亡くなっている。享年52歳であった。
弥太郎は死の床で伏せているときに最後とも言われる
「吾より速に競争を挑み敵に後るるなかれ」
といったと言われる。
ライバルとの間ではスピードとサービスで勝負を挑み勝つことこそ本望
というようににも見える
岩崎弥太郎記念館
事業ではわずか18年間の間に大財閥を創った。
その精神はスピードで負けない、サービスで負けないという
ものだった。
石川博信
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