偉人の仕事術 吉田松陰 教育は立志にあり
公開日:
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最終更新日:2017/09/11
偉人伝 ものの見方
幕末維新の火付け役となった吉田松陰 人を育てることに長けていた
1830年-1859年
幕末の長州藩で生まれて、多くの志士を育て幕末維新に影響を与えた思想家、教育者として名高い。
幕末でも早期から尊皇倒幕を唱え長州における精神的支柱でもあった。
幕末維新では大きく分けて3種類の人物像から成り立っているとも考えられる。
一つ目は維新への精神的風土を創りあげる啓蒙家達、二つ目は維新を実行していくもの達
三つ目は維新後の仕組みを創っていく実務家達であり、吉田松陰はその短い生涯の中でも
一つ目の啓発家であり教育者として生きたといえる。維新を実行していく者達と
維新後に活躍した者たちは松蔭の松下村塾からは続出した。
そもそも何故尊皇倒幕に動いたか?
幼い頃より学に優れて藩主の覚えめでたく最初は兵法を学んでいたが、アヘン戦争で清が西洋列強に
負ける、学んでいる兵法が時代に合っていない事を感じ、西洋の兵学を学ぶために九州、さらには江戸へ
行き、佐久間象山(当時の先端を行っていた兵学者で思想家)との出会い影響が大きく西洋式の軍備を整え
さらにそれよりも国防を強くしなけば日本は大変なことになると考えるようになる。
その後ペリーの来航には、密航を企てて小船で近いづいたが拒否されてしまう。
何事も自分で見ていこうという気概がこのあたりにも見られる。
その後幕府が天皇の許可を得ずに日米修好通商条約を結ぶと激怒し、幕府ではだめだと、
倒幕運動走っていく。志ある人材で国を造っていくしかないと藩や様々なところで呼びかけるように
なるがこれが危険人物として幕府からも目をつけられて長州も最初はかばっていたが藩にも危険視されて
投獄されてしまう。江戸から故郷である長州にもどってきたわずかの期間で明治維新からその後活躍する
人材を輩出したことは目覚しいものがある。
松下村塾 この小さい家から多くの人材が生まれた
松下村塾は何故人材が多く輩出されたのか?
まず入塾を希望する者に
「何のために学ぶのか?」
と必ず問い
「学ぶことは立志ということが大切で志を掴むことに意義がある」
更に学者になるために学ぶのではなく
「人は実行が第一である」
何のために学ぶのか、何を志すのか?これを重要なこととしていた。
一番目には「何をもっとも大事だとするか?」
これにより自らの価値観を悟るようにする。色々な人の価値観にもふれる。
その中で自分自身の特性も掴むというものだ。
二番目は「何が好きか?」
ここでいう好きというのは、自分のクセと言い換えても良いかもしれない。考え方
物事の捉え方、接し方など自分が動くなかでの自然に出来ている行動を自ら、他者からも
求め得意なところ、自然にできることを理解していくようにする。
そうすることで人の特性を見ることができる、人選にも相手への理解でも役立つというものだ。
三番目は「何に興味があるか?」
たんなる興味ということでなく幅広い社会の中で何に興味があるか?ということは何かそこに
引っかかるものがあると考え興味関心がある部分を掘り下げて学んでいこうというように進めた。
一番から三番を自分で考え時には松蔭や他の塾生と語りながら学んでいく。
そうすることで
もって産まれた性格と行動のクセと今の興味をあわせることで
個性を生かせ、その人を活かせると考えた。
松下村塾自体はカリキュラムというものは特になく
人に合わせて松蔭が教える。そして教える姿勢では、年長者も若輩者であっても
丁寧な言葉使いで接していたという。
実際に、奇兵隊を率いて維新の先鞭をつけた高杉晋作なども入塾の際に
周りからも乱暴でわがままな人物と見られていたが、松蔭は当時秀才と
言われていた久坂玄端とも並ぶ才能があると見込み、彼らを競わすように
育てていったり、後の元帥になった山縣有朋についても、まっすぐな気質のところを
更に伸ばすように教育したり、伊藤博文については、学問だけでなく普段の様子を見ていて
根回しの良さ、度胸もあり政治家になると良いということを伝えている。
これらは維新を成し遂げた志士達の生涯の指針にもなったと思う。
松下村塾輩出の偉人達
維新の元勲、木戸孝允から伊藤博文、高杉晋作、など歴史上の人物がここから巣立っていった。
最初に学ぶことを明確にして、志を立てることから始まっていく松蔭の教育法であったが、
学ぶことで重要視したのは
「飛耳長目(ひじちょうもく)」である。
これは、いつでも情報収集に勤め判断材料にせよ、というもので今で言うと
インターネットやニュースのようなものだと思う。情報収集を非常に重要視していた。
さらに草莽崛起として在野の人たちであっても一気に立ち上がれば事はなると
身分だけにとらわれず、ここでも立ち上がる、行動することを重要視している。
吉田松陰の考えでは国防を示した「幽因緑」というのがある。
この中で松蔭は、今後は北海道からカムチャッカ半島、朝鮮、更には満州、台湾、フィリピンまで領有し
強国と成すべしとしている。これは明治以降の松下村塾出身者が政府の中心で活躍するようになり
日本の海外政策にも大きく影響を与えたのではないかと考えられる。
日本を大きく変えた明治維新の立役者になった吉田松陰は教育者として
様々な言葉を残しています。
立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬に過ぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
志を立てて以って万事の源となす
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
きっと凄いエネルギーだったことは残した言葉一つとっても納得いきます。
人の本氣って何処までも美しく凄いものだなと吉田松陰を見ていると感じます。
吉田松陰の家紋 ナチスは逆向きですが家紋をみても力がありそうですね。
石川博信
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