真田幸村 あきらめない男の考え方
公開日:
:
最終更新日:2020/02/16
日々徒然草
真田丸でも更に人気がでてきた真田幸村
私は以前からこの真田幸村、そして父である昌幸、そして祖父である一徳斎が好き
で何冊も本を読んだり、居城であった上田にもいったりしました。
時に戦国時代の初期は群雄割拠、そして下克上が頻繁に行われていた時代でも
あり、真田一族もそのような中で小さな地域を納める武将にすぎませんでした。
祖父である真田一徳斎が武田信玄に仕えるようになり、ともに戦に出るように
なり徐々に真田の名が上がるようになります。
これは、智謀にたけ、そして忍びを多く抱えていた為でも会ったそうです。
父、昌幸が武田信玄の元に来ると、武田信玄は大変昌幸を気に入り
自分のそばに置くようになり、そこで昌幸は多くのことを武田信玄から
学んだと語っています。
戦の仕方、治世の方法、部下への配慮など・・・
その中でやがて、武田信玄が京都へ上洛を企てた際には、
徳川家康と三方が原で武田信玄軍が戦い、信玄軍の圧勝で終わり
家康は命からがら助かったという逸話も残っていますが、
この策を出しのは、真田昌幸、真田幸村の父であったといわれています。
人のこころを読んで策を練る。
このようなことを学んだといっています。
後年、真田一族は武田信玄細大のライバルといわれた上杉家に身を寄せる
ことになりますが、その際に、上杉謙信の戦の仕方を昌幸が聞いたときに
「何故、武田が中々上杉に勝てなかったのかよく分かった。
心を読むというのは、信玄公が大事にしていたことだが、
謙信公もよく読んでいた。お互いに天下の器であったために、いたずらに
戦いをせず、相手を読みすぎ大戦にはならなかったのだろう。
互いに、退路を良く考えていた。小競り合いはあっても決定的な勝敗が
つかなかったのはこのためだ」
と語っています。
そして昌幸は、後年、兵力が10倍の徳川軍相手にも勝利するほど戦上手でありましたね。
息子、幸村はその様子をまじかでよく見ていたのでしょう。
これも大変な戦上手でした。
有名な大阪の陣では、大変不利といわれた中、そして自分の策も中々とうらない状況でも
決して投げ出さず、
どうすれば勝てるか?
と、様々な策を練ります。当初は、大阪ではなく、滋賀や岐阜などで野戦を仕掛けることを
提案し、最初は了承されたものの、後にくつがえり、結局籠城戦になってしまった。
勝ち目は益々薄くなる中で、考えた作戦が
出城を創るという真田丸で知られた作戦でした。
その後、大阪夏の陣では、もう埋め立てられて守る機能がほぼなくなった
大阪城でしたが、
ここでもまた、案を作ります。それは、高台に出城をつくりそこから攻める、
守るということ、でした。
実際にはこれは実現せず、ぐちゃぐちゃの中で戦いも始まりますが、
ここでも、最善の知恵を出し、家康を2度も追い詰めています。
実に、兵力は当初は倍近くの相手、最後には5倍以上あったといわれる兵力
の相手に対してただ勇猛ということでなく、
知略の限りをつくし、
どうすれば勝てるか?
決してあきらめない、そこから知恵もアイデアもでる
真田幸村の場合にはやはり父の影響が大きかったかと思います。
そして小さい軍勢が大きな軍勢とどのように戦いをすれば良いか、
そして敵方である徳川は何度となく戦っている、いわば戦のクセを
知っている相手ということも大きかったと思います。
真田幸村の戦いぶりは、敵方からも
真田日本一の兵(つわもの)
と評されるまでになり伝説となった。
真田のように強国に囲まれていて
先の見通しが立てづらい状況は
今の日本にも重なるところがあります。
小国という所の生き残りをかけた
外交や戦い方は
今でも参考に成る部分が多くありますね。
真田幸村の最後の大坂の陣では
敵にはさほど士気も高くなかったことも
あるでしょうが、それにしても
多勢に無勢。
通常の戦いでは勝てるわけもなく
負ければ死しかありません。
その作戦や戦いからは
真剣な度合いが伝わってきます。
弱者が強者に立ち向かい奮闘することも凄いことですが
なによりこの姿勢であり、考え方、行き方に共感している方が
多いのではないのかな、と思います。
私ももちろん好きですが、調べればそして知るほどにその凄さが
ありありと分かってくる真田一族。
個人的には、真田三代を大河ドラマでやってほしいなと思います。
石川博信
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