織田信長の先見性②
公開日:
:
最終更新日:2017/07/23
偉人伝 ものの見方
織田信長の先見性は常識にとらわれない価値観から生まれている
戦国・安土桃山時代の武将(1534~1582) 尾張(今の愛知県出身)の小国からうつけ者(かしこくない、変わっている人の意)
と言われながら天下統一まで後一歩という所で配下の武将である明智光秀の謀反にあい自害。
信長の部下に求めることは
「言われなくても分かる人間、もしくは言われればすぐ分かる人間になってほしい」
織田信長は情報の重要性を特に大事にしていたという。
- 早く情報を得る
- 情報から問題点を把握する
- 問題点について考え、解決する為の策を練る
- 策の中から優先事項の判断をしていく
このような情報を元に決断を下していったのだが、もちろんその精度、そして報告内容にも
注意を払って聞いていたことが織田信長を伝える手記でも明らかになっている。
織田信長の名前を天下に知らしめた戦いに桶狭間の戦いがある。
自軍は2000程度に対し今川義元は2万5千以上と実に10倍以上の軍勢を誇った。
これを破りしかも、敵将である今川義元の首まで取ったのだから完勝といえうだろう。
この桶狭間の戦いで何故、織田信長が勝つことができたのか?
「奇襲攻撃がうまくいった」とか
色々言われもしているが、実は大きな勝因として挙げられるのが
いち早い情報取得とそして状況分析だったのではないかと思う。
桶狭間の戦いで勝った後に論功行賞を行ったが、
一番の手柄は梁田政綱という家臣の中でもあまり知られていなかった男であった。
家臣たちは当然、敵の大将である今川義元を討ち取った、服部小平太と毛利新助の二人が
一番の褒美を受けると思っていたが、家臣たちもこれはどういうことか?
と信長に問いただしたという。
信長は
「そもそも、そなたらは作戦会議で全員で討ち死にしようではないか!と決めて
いたが、俺は全く承認できるものではなかった。一家の主が全員死んでしまえば
家族はどうなるのだ?もちろん織田の家もどうなるのだ?あまりに無責任すぎる
と思えたのだ。ただ、俺にだってそんなにいい知恵があったわけでもなかったが、
この梁田が貴重な情報と戦の提案をしてくれたのだ。これがあって今回は戦に勝った」
- 桶狭間付近で村人が大動員されて炊き出しが始っている
- 近くの田楽狭間でも炊き出しが始っている
- 空模様がおかしい
この三つを更に詳しく伝えると
- 桶狭間の炊き出しの中身は粗末なものだ
- 田楽狭間の炊き出しは大変贅沢だった
そして梁田はこのような提案を信長にしたという。
このことから、桶狭間で食事をするのは一般の兵隊で、田楽狭間で食事を取るのは家老、大将などの将校がいる。
「そのようなことから、おかしな空模様から明日の昼頃には嵐が予想できるのでこれを利用して嵐にまぎれ、
田楽狭間だけねらって大将を討ち取ることに専心すべきである」
「そして実際にこれを実践して勝った。
もし梁田の情報もなく、対策もなければ戦に勝つことはなかったであろう。
だからこそ、梁田が一番手柄なのだ」
信長は「言われなくても分かる人間、もしくは言われればすぐ理解し行動できるようになって欲しい。
言われてもわからないという事はないように」と言ったという。
今でいえば、様々な情報から少し先の時代の変化を見通し、さらにどのようにすることが
大事なのか?ということなのだろう。
信長は若いときから「うつけ」といわれいたが、城下町を行き来する、流動者から
様々な情報を得ていたと考えられる。流動者というのは、行商人、芸能人、僧、百姓
などであった。
情報の持つ力というのは、子供のときから身につけていたのではないか?
これ以降も、信長は多くの合戦に望むが、早く情報を知ることで様々な対策を
練り戦に勝利している。
情報提供者を恩賞の一位にしたというのは、それだけ情報の持つ力を知っていたからともいえる。
当時の武将として、情報提供者を恩賞一位にしたと
いうのは異質なものであったと思う。
織田信長がこの時代の常識を打ち破って情報に大きな価値を見出していたことは
自然に身についたものと考えられるが、もっと大きな価値観は、常識にとらわれない
ことであったといえる。常識にとらわれない価値観があったからこそ、後に鉄砲部隊を
組織したり、兵農分離をしたり、または比叡山の焼き討ちなどにも繋がっていたのかも
しれない。
いづれにしろ、情報に大きな価値を見出し尾張の小国から天下統一まで後一歩まで
迫った信長の「常識にとらわれない」そして情報に大きな価値を見出したことは
信長を見ることで重要な視点であり、今の時代にも通じることではないかと思う。
石川博信
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