足るを知る真意
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京都の竜安寺にあるつくばい 吾ただ足るを知る。
京都へ行ったときに何度いっても良いと思う竜安寺。
有名な写真のつくばいもあります。
吾ただ足るを知るという真意はなんだと思いますか?
人によって違いはあるでしょう。
私は
「肯定・感謝をしながらも志に向かい今、そして未来の為に有限な肉体を持った人生を使いきる」
ことではないかと思うのです。
そんなことない!
今に感謝していくることだ!とか
贅沢をしないことだ!とか
意見は沢山あるかもしれません。
しかし、
足るをしり、己だけで良いでよいのでしょうか?
誰しも吾よしだけでは
社会は生成発展しないのではないでしょうか?
とんでもない大ばか者と思うかもしれません。
吾ただ足るを知り、万物に感謝した上で
志を立て今を含む未来の為に働く。
それでなければ社会は生成発展しないと
かんがえるのですがいかがでしょうか?
昔の権力者の作った様々な建造物。
文化遺産になったり観光名所になっているものもあります。
それはもちろん時の権力者がつくったものでなく
大勢の民の力によってできたものです。
つまり
一人で成し遂げられた偉業はなく
大勢の力によって成し遂げられています。
その原動力は様々でしょう。
命令によるもの。
お金によるもの。
そして志によるもの。
があると思います。
偉業のなかには、お金ではなく
できることを協力して行っていたかたも多くいたでしょう。
幕末維新ではそのような志士が多くいて
そして彼らを支援していた方々の存在も
明らかになっていますね。
「志」とはなんでしょうか?
一見、吾ただ足るを知ると関係ないかもしれません。
しかし、良く観ると
十分、自分個人のことは足りている精神があり
社会のことのために働く。
だから、大勢の人々の支援もうけ
やがて大業に向かっていく原動力になったのではないか。
「志」は誰にもある人の「崇高」さでもあると思う。
誰しも、その思いがあっても、中々表現できなかったり
恥ずかしくて言えなかったりすることもあるでしょう。
私は
「吾ただ足るを知る」に
「吾ただ足るを知り、志・天命に活きる」
が地球規模で襲っている
様々な課題を解決しよりよい社会へ向かっていくための
原動力と考えますがいかがでしょうか?
石川博信
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