偉人の仕事術 本田宗一郎 公平な人事を貫き事業を発展させた
公開日:
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最終更新日:2017/10/15
偉人伝 ものの見方
本田技研創業者 本田宗一郎 伝説的な経営者だった
信賞必罰は人事、組織の基本でもあるが、一生懸命働き業績に貢献しても報われず
評価もされず、またさほどの業績をあげていなくてもそれなりの評価をされることが
あればその会社で一生懸命働く気は中々しない。
業績に貢献したり力を発揮したものにそれなりの評価というのがきちんとできるということは
やはり大事なことで公平な評価をするという組織はやはり強くなる。
経営者は燃焼する炎でなければならない 本田宗一郎
今では世界的企業になった本田技研の創業者である本田宗一郎は人事評価を厳しく
公平に行った人で、決して情に流されることはなかった。
例えば、会社に親しい金融機関から4,5人の学生を採用して欲しい。また大株主よりも
4,5人採用して欲しいと頼まれたときのこと。
企業にとっては金融機関や株主からの話は断りづらいが、宗一郎は
「かしこまりました、ただ試験はきちんと受けてください」と伝えた。
ところが試験を行った結果は全員不合格点となった。そして人事課長が宗一郎に
おそるおそる、この結果ですので不合格とさせていただきたいと思います。
と伝えると、流石の宗一郎も顔色も難しい顔つきになったが、すぐさま
「分かった。人事のことは君に任せてあるからそうしよう。俺は人事課長までは
兼務できないからな」といい、試験を受けた全員が不合格となった。
一度信頼したら徹底的に信頼する。それが本田経営の特徴でもあり、今回のように
ステークホルダーの願いとはいえ本人に実力がなければ採用しないということが
本田技研のスタイルでもある。
これには後日談もあり、紹介したステークホルダーは「そこまで厳しく人選をしているのか
それは強い企業のはずだ」と感心した方もいれば「なぜ紹介したのに入れない!」とクレームを
つけてくる方もいたが、宗一郎は一歩も引かなかったという。そして何故人選が必要なのか?
説明をしていたという。
本田技研の前身 アート商会 修理工場からはじまった。
竹馬の友でも実弟でも切る
本田宗一郎が如何に人事について厳しい姿勢をもっていたか分かるもう一つのエピソード
として有名なものがある。
創立14年目のことで突然二人の常務が解任された。一人は増田儀一、もう一人は本田宗一郎の
実弟である本田弁二郎である。増田は当時営業部長という肩書きで要職でもあり、しかも本田宗一郎
とは幼馴染であった。一方実弟の本田弁二郎は製造部門のリーダーであり人柄もよく社内でも慕われていた
方であった。何故いきなり二人の常務が解任されたのか?周囲でもよく分からないという声があった。
しかし、その要因はしばらくすると明確になってきた。
突然、若い重役が四人も誕生したからである。最年少37歳から45歳までのまさに若い重役であった。
しかし何故、二人の常務を解任したのか?明確な理由は明らかにしていないが
「経営陣は炎でなければならない。そしていつも人一倍強い炎でなければならない」
と語っているところをみると、宗一郎からみて炎が小さくなってきていたと感じたのかも
知れない。そしてまた新たな炎を作らないといけないと考えたのだろう。
このように宗一郎は会社のためにということであれば、竹馬の友であっても、実弟であっても
容赦なく切り捨てることをいとわなかった(実際には苦心したであろうが)
その姿勢が本田技研という会社の社風にもなり、人事における公平さの大切さを体現化して見せている。
しかし、取締役を解任されたかといっても、本田技研から追い出したわけではなくそれぞれに
きちんと役割を持たせて処遇している。
その一方で実力があると認めれば学歴や年齢にこだわらずどんどん抜擢した。
先の若い取締役登用の一人であった西田通弘などは良い例で転職や勤めていた先の倒産もあり
ハローワークから本田技研に入った中途採用組みであるが、実力があると認めれば
引き上げ抜擢することも本田技研の社風にもなりその後何度も抜擢人事というものが行われている。
本田技研で言えば、本田宗一郎と藤澤武夫(副社長)というコンビが育ててきた会社
であり、創業者たちの権限は強いが、二人共縁故入社は一切させず息子もいたが入社させなかった。
同族経営は限界があると感じており、また社員たちが気をつかうことを嫌ってのこととも伝わる。
本田宗一郎も藤澤武夫も昭和48年に一気に経営の一線から退き、最高顧問という地位に退いてしまい、
そして後継者に選んだのは本田とも藤澤とも縁もない、河島喜好だった。
常に公平な人事をを行ったことが今日の本田技研を創ったともいえる。
本田宗一郎は常々、会社は社会の公器ということもいっており、まさしく「公」ということを
考えて人事を行った素晴らしい経営者であった。
石川博信
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