墨子の仕事
公開日:
:
最終更新日:2019/12/09
偉人伝 ものの見方
墨子 中国の思想家、哲学者でありながら行動をし続けた。
諸子百家と言われる中でも異彩を放つ墨子。
そして後に基本的な考えも記載したが
人を良く知っている方だということ。
そしてそれだけではなく、いざ、というときのために
行動(軍事行動)ができる集団でもあり
さらにそれも抜群に強かった、凄いですね。
紀元前の人物だといわれているが正確なところは分からない。
最初に儒学を学ぶも儒学では差別的を生むとして独自の価値観をつくるにいたり
墨家という集団を構成するに至った。思想の元は
兼愛非攻
という。兼愛は天下の利益は平等から生まれ、損害は差別から起こるというもので
全てのものに平等の愛をもった姿勢であり施策を求めていった。
非攻というのは、一人一人を殺せば罪になるが、何故、何百万と殺した将軍が勲章をもらうのか?
という思想の元で、学ぶだけでなくそれを実行していったことに墨子の凄さはある。
墨子率いる墨家集団は当時としてはかなりユニークで工員の集団ではなかったか?とか推測はあるが
非常に粗末な服装で服はぼろぼろで、多くは裸足で、良くでも草鞋であった。
時は、宋や楚の国など群雄割拠している当時の状況の中で、まず非戦というのは
中々諸侯の考えとは合わず、敬遠されることがほとんどであったようだが、
行動する集団 墨家
これにより領土を拡大する国があれば、そこに出向き「それはやめたほうがいい」といい
反対に攻められそうだという国があれば「我々が手助けします」と駆けつけた。
東奔西走という行動であった。
エピソードとしては楚は戦いで画期的ははしごを開発して、敵国である宋を攻め様としていた。
墨子は楚に出向き「宋を攻めるのはいけない、戦えば必ず負ける」と進言した。これは
ポリシーである兼愛非攻に反するからである。しかし楚の参謀である公輸盤は
納得せずに、攻めれば負けるということであれば図上で競ってみようではないか?
と持ちかけ、墨子と図上で競って見たが9回行い全て墨子が勝った。
王様の目の前で面子も潰された公輸盤は、
「私は実は勝つ方法をしっている。が、今は言わない」というと
墨子は
「私もあなたが言う方法は知っているが今はそれは言わない」と切り返した。
両氏が互いに言わないといった方法は、公輸盤が墨子を殺し宋に攻め入るという
方法であった。しかしそんなことにも墨子は先に手を回しており腹心の300名を
宋に派遣し、しかも新兵器を持たせてあるので、あなたが私を殺し宋に攻めても
私の弟子たちが必ず宋を守ります。
やり取りを見ていた楚の王は宋を攻めないことを墨子に約束した。
このことから見ても、墨子は唯の思想家ではなく非常に戦略、戦術に長けて
尚且つ、自分の思想を貫けるように現実に対応する術を知っていた稀有の存在ともいえる。
交渉であっては、相手の出方、ウィークポイントを見抜いた上で
自説に納得できるようにもっていくというのは
非常に外交能力も高かったともいえる。実際にこの時代に王に会見できたり意見を述べると
いうことは当然一般の武将や思想家でできるわけでもなく、元々は何処かの国の高官で
あったのではないかとも言われている。
墨家の思想
兼愛
兼(ひろ)く愛する、の意。全ての人を公平に隔たり無く愛せよという教え。
儒家の愛は家族や長たる者のみを強調する「偏愛」であるとして排撃した。
非攻
当時の戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定する教え。
ただし防衛のための戦争は否定しない。
このため墨家は土木、冶金といった工学技術と優れた人間観察という二面より守城のための技術を磨き、
他国に侵攻された城の防衛に自ら参加して成果を挙げた。
尚賢
貴賎を問わず賢者を登用すること。「官無常貴而民無終賤(官に常貴無く、民に終賤無し)」
と主張し、平等主義的色彩が強い。
尚同
賢者の考えに天子から庶民までの社会全体が従い、価値基準を一つにして社会の秩序を守り社会を繁栄させること。
節用
無駄をなくし、物事に費やす金銭を節約せよという教え。
節葬
葬礼を簡素にし、祭礼にかかる浪費を防ぐこと。儒家のような祭礼重視の考えとは対立する。
非命
人々を無気力にする宿命論を否定する。人は努力して働けば自分や社会の運命を変えられると説く。
非楽
人々を悦楽にふけらせ、労働から遠ざける舞楽は否定すべきであること。楽を重視する儒家とは対立する。
但し、感情の発露としての音楽自体は肯定も否定もしない。
天志
上帝(天)を絶対者として設定し、天の意思は人々が正義をなすことだとし、
天意にそむく憎み合いや争いを抑制する。
明鬼
善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張し、争いなど悪い行いを抑制する。
とても実用的で、秩序の安定や働くことや人への敬意もあり人民救済や国家体制の元となるべく
シンプルで一般に理解しやすく、更に武装集団や交渉集団としても活躍したため、他の諸子百家と比べ
非常に稀有な存在で秦による統一の前は非常に大きな勢力を誇った。
秦の統一王朝になってからおそらく相当弾圧されたと見られ歴史上から姿を消していったが
清の時代になり、キリスト教の教義にも近いということから再評価されて今日の諸子百家として
考えも伝わるようになりました。
人材を生かすことの大切さを説く
国も治世においては様々な分野があり、そこに適材適所で人員を登用すべきだという
考えで、その登用する人材には身分にこだわらず、時に王であっても
その賢者に治世を任せることが大事で、王とてもその賢者の意見を取り入れなければ
成らない、とした。
更に、有能な人材はとても癖があるので扱いづらい。馬でも良い馬は暴れ廻り乗りづらいが
何処までも遠くへそして重たい荷物も背負えるものだ。
だからこのような有能なものには指令をだすのではなく、意図を伝えるのだ。
力があり有能なものほど、それで動く。
墨家の教えを守る
墨子の死後には派閥が出来たりしますが、三代目の指導者で孟勝がいました。
彼は城を守ると約束したが、楚の軍勢と戦い敗れてしまいました。
それで自決しようとします。負けたことは、約束を守らなかったことで死に値する
として部下も止めたにも係わらず、自決しそれを追うように部下も自決して
その数は400人にも及んだと言われています。
これは墨子の教えの明鬼とものに反する。つまり人は善悪の行いによって鬼神から
賞罰を受けるが、過ちを犯すものは罰せられるという考えで、
城を守れず戦いに敗れたということは約束を守れなかったということで
それは死に値すると考えたのです。
墨子は行動する思想集団であり、その道義もとてもしっかりしている。
何よりも、実際の戦国時代を駆け抜けたというのは実力もあったということに
他ならず、人民救済や国家の元となる考えをどう社会に落とし込むか?
情報網から武器の優勢さ、交渉の方法など
大変実践的なことをとうしてよい社会の為の行動を行った。
石川博信
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