偉人の先見性 岩倉具視
公開日:
:
最終更新日:2017/08/10
偉人伝 ものの見方
岩倉具視 明治維新の際、朝廷側の実力者として活躍した
1825-1833
公家であり政治家であった。初めての国葬をされた人物といわれている。
若い頃は「岩吉」と呼ばれ少し馬鹿にされたような少年期であったようですが
13歳のときに岩倉家に養子で入りましたが、そもそも岩倉家自体が家格の低い家であった
ことや、奇抜な発言もすることもあったが、朝廷内で儒学者伏原宣明(ふせはらのぶあき)に
見いだされ、また時の関白であった鷹司政道の和歌の弟子になったことで朝廷とのパイプが
でき、元々もっていた大胆な意見や考えを述べるようになっていく。
公家としてはあまりいないタイプだったかもしれませんね。
例えば、和歌の席のあとで、朝廷の学習院での身分制度の改革を訴えていますが
この頃既に黒船が来ていて、アメリカの政体系は朝廷内でも知られていたのだと思います。
これはすぐには実現しませんでしたがその後同意を頂いてくることになります。
日米修好通商条約でのやり取りで活躍し始める
ペリーの黒船がやってきて日本に開国を迫る中で幕府は老中、堀田正睦を朝廷におくり開国の
勅許をとろうとした。
このとき朝廷側の関白九条尚忠は柔軟な考えの持ち主で開国にも賛成であったが、
歌の先生でもある、太閤鷹司政道に根回しして開国に反対の立場をとらせることに成功した。
さらに議奏という地位にあった久我家も巻き込み、反対の立場をとらせることにも成功したものの
関白九条は既に老中、堀田と手を結んでおり条約締結の方向で進むことを変えようとはしなかった。
それでは、ということで
前代未聞の公家によるデモを行った
八十八人の公家による
「廷臣八十八卿参列事件」と呼ばれるものでした。
そもそも孝明天皇も条約締結には反対だったので、デモにより
知らない異国と付き合うことは良くないという空気創りあげることに成功し
結果デモが威力を発揮して勅許の件は流れていくことに成功した。
岩倉具視は五百円札に登場していましたね。
この騒動の際に岩倉は天皇に意見書を出している。
曰く
開港も一箇所であればよいだろう(監視しやすい)
国内移動は厳禁 宗教普及も厳禁
むしろ欧米にこちらから使節団を送り何を考えているか理解すべきだ
幕府は国を守ることをしっかりさせるべき
このようなことを伝えています。ここにはもう、時代の先を見ている先見性が感じ取れますね。
このときはまだ岩倉は孝明天皇の侍従にすぎなかったが、政治家としての一歩を
歩んだといえるかもしれない。
しかしながら幕府は勅許が降りないにも係わらずアメリカとの条約を締結してしまいます。
これが日米修好通商条約です。
それを知った朝廷側は特に孝明天皇は怒り、水戸藩などに勅命もだしますが
この事件を皮切りに幕府と朝廷の関係は冷え切ったものになっていき、更に安政の大獄もあり
その溝は中々埋まるようなものではなくなりつつあった。
しかし、岩倉は幕府をうまく使って国をまもるという考えだったので何か方法はないか探っていきます。
この頃既に、幕府はあくまで朝廷の下で政治をやっているということを知らしめる良い機会であると
孝明天皇に伝えています。そこから幕府と朝廷の融和策として出てきたものが
公武合体というもので皇女和宮と将軍との婚姻の計画でした。
この頃には既に岩倉は天皇の信頼もあり、本来は老中などと話ができる家格ではないものの
勅使として幕府側の代表と朝廷を代表してという立場で談義を行っている。
そんな中で長州藩が動き出し、薩摩藩も動き出してきます、いよいよ幕末の動きが活発に
成ってきて蛤御門の変から第二次長州征伐など慌しく時代は動くが、岩倉は公武合体を推進して
いると尊皇攘夷派によって一時引退に追い込まれていたものの、再び朝廷へ復帰したときは
倒幕の頭目という立場で戻ってくる。このときにはもう、幕府ではどうしようもないと、
いうことを岩倉自体感じていたのだろう、見事な変身である。
そして薩摩の大久保利通などと謀り、偽の密勅や錦の御旗をつくり武力倒幕への道を作った。
この根回しというものの凄みは最後には明治新政府が征韓論という議論で
政府内が真っ二つに割れたときにも根回しをして反征韓論で新政府をまとめている。
根回しが得意ということには違いないが、岩倉の場合には
常に、自分立場や先を見通す力があり、時には冒険的なことで命を賭けてまで
内部工作に奔走した。なんとくですが秀吉や同世代である大久保利通と
仕事ぶりが似ているようなところもありますね。
本当に力がある人物はいつの時代でも這い上がってくるということでしょうか?
偉人の先見性 岩倉具視でした。
石川博信
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