偉人の先見性④ 坂本龍馬
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最終更新日:2017/07/29
偉人伝 ものの見方
坂本龍馬 幕末維新では薩長同盟 大政奉還 海援隊を組織した維新のプロモーターだった
日本でも大変人気がある坂本龍馬。その生涯も行ったことも大きなスケールで行ったが
先見性いえば幕末維新で筆頭格であろう。大きく「日本」という所から考えることができる
人物であった。
坂本龍馬(1836~1867)
幕末維新の志士であり土佐藩出身の豊かな商家に生まれ育った。
幼少期は「よばあたれ」(寝小便をする癖)であったり気弱な少年で
いじめられたりしていたが、姉の乙女によって武芸や学問を習いやがて、剣術では土佐に
並ぶものがないといわれるくらい上達し、それがきっかけで江戸へ剣術修行へ行くことになる。
そこで、桂小五郎(のちの木戸孝允。明治維新三傑の一人で長州藩出身)や師となる勝海舟(幕臣
軍艦奉行、幕府陸軍軍事総裁を歴任。明治新政府でも要職を重ねる)などとの出会いもあり
生涯の中でも剣術が達者となり江戸に行ったことは後の生涯でも影響を与えている。
また、もう一つ青年期で商売をやっていた家の縁戚関係で川島家(土佐藩御用達船蔵を所有)へ姉と
度々訪れており、世界地図や各国の品々など見て海外への興味はこのときに培われたと考えられる。
先見性を発揮し、日本の将来を見据えた様々なプロジェクトを開始
坂本龍馬は32才という若さでこの世を去ったが明治維新という大きな変革にはなくてはならない存在だった。
5年半の間に3っつのビックプロジェクトを打ち出す
年齢も若く、しかも少年期までは弱虫でいた青年が、新しい国家像を打ち出し、そのための
対策やビジョンを打ち出していたことは驚愕に値すると思う。
薩摩、長州という幕府に対抗するような勢力であっても幕府を倒した後
どのような国家にしていくという明確なビジョンは持っておらず
実際に幕府が倒れ新政府になったあと薩摩の島津久光は回りに
「俺はいつ将軍になるのだ?」と訪ねた逸話が残っている。
薩摩、長州を中心にした倒幕勢力も実際に、政権を奪った後の新政府のあり方
が漠然としており、具体的な国家像を持っていた坂本龍馬の案には感服したという。
龍馬が企画したビックプロジェクト
①倒幕勢力の結集・・薩長同盟のコーディネート
②新政府要領(船中八策)の素案づくり
③土佐海援隊の設立・・日本で初めての株式会社的組織であり且つ、政治結社でもある
*大政奉還への活動もビックプロジェクトだが、ここでは新政府綱領への一環と捉えて
土佐海援隊を取り上げて見た。
一つずつ見ていくと、まず薩長同盟のコーディネートだが元来仲の悪い両藩であったが
キーパーソンの長州では桂小五郎、薩摩では西郷隆盛といづれとも知遇得ていたことも大きい。
両藩とも、新政府設立には協力する必要性はわかっていても中々手を結ぶことはできず
いたところを龍馬が立ち会いの元に成立した。
この同盟により、倒幕勢力が結集し始め、土佐、芸州、肥後など増えて行き幕府と武力でも
対抗できる一代勢力になった。
次に、新政府要領となる船中八策だが、薩長をはじめとする勢力と幕府が争っている間にも
外国勢力が内戦に乗じてくることを見通し、雄藩と幕府、更に朝廷(天皇)の元で新しい政体となり
近代統一国家を考えていた。大政奉還、議会開設、外国との条約改正、憲法策定や国軍の創設から、通貨制度などまで
言及しており、且つ具体的な人事案も示されていた。最初の大政奉還については内戦が起きないように考えたわけだが
この案が実施されていくと、武力で幕府を倒し政権を取ろうとしている薩長からすると
利益が反すもので受け入れがたいものでもあり、龍馬暗殺はこのことが原因と考えている歴史家も
少なくない。
龍馬は明治維新を見る間もなく亡くなってしまったが、大政奉還から、新政府樹立の五箇条の御誓文の原案にもなった。
また、明治も中期時代になるとようやく帝国議会そして憲法が創設されるに至った。
このあたりでも、龍馬の先見性、洞察力というものは凄く時代を早く読みすぎたかも知れない。
そして見通すだけでなく、中々形にできものをまとめて形にする力は企画力ともいうべきものだが
この策定作りにもとても長けていたと思う。
ベンチャービジネスとしての土佐海援隊
坂本龍馬がつくった土佐海援隊だが、商社とともに政治結社さらに海軍の要素をもっていた。
そしてこの海援隊の要綱にこそ龍馬の先見性、洞察力を見ることができる。
要綱の抜粋だが
①脱藩したもの、海外へ雄飛したいものだけがこの隊へ入ることができる
②射利、開拓、投機、本藩(土佐)応援をしながら利益を得る
射利というのはどんなことであっても儲かるものには手を出していくという
意味にも捉えることができる。全体的にいうと
貿易、海運、商社、金融、建設という事業をつくり維新後はこれらで
いまでいうコングロマリットを創ろうとしていたのではないかと思う。
実際龍馬がなくなった後に、後を継いだのは岩崎弥太郎(三菱財閥創業者)であり
龍馬の考えを承継し今日の三菱財閥を作るに至っている。
龍馬というのは、奇抜なアイデアというものではなく、先見性や洞察力という
視点から見ていくと、その考え方、行動というのが良くわかってくる。
その部分でいうと、やはり人脈と情報というものがいかに大事かとい。
幕府側では中枢である、勝海舟は師匠であり、薩摩の西郷隆盛、長州の桂小五郎
という人脈の他にも、グラバーなど海外商人などとも知遇を得ていたので
広い角度からの情報が得られて、そこからも考えをまとめていったということもある。
もちろん、柔軟性のある考えを持っていたことも間違いないことだ。
さらにいうと、この時代もしかしたら龍馬以外にも同様のことを考えり知っている人は
いたかもしれないが、やはり行動をしていたということで言うことが白眉だ。
日本でも人気のヒーロー坂本龍馬の先見性でした。
石川博信
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