偉人の先見性 勝海舟
公開日:
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最終更新日:2017/07/27
偉人伝 ものの見方
勝海舟 幕臣でありながら新しい日本の姿を推進した
勝海舟(1823~1899) 本名 燐太郎 義邦
幕末から明治初期に活躍した幕臣、政治家
先を見通すという点では、先に紹介した織田信長や小早川隆景も素晴らしいが
この勝海舟の先を見る目というのも只者ではない。
先見性に富むものは誤解されやすいが、それを恐れてはいけない
勝海舟の言葉
新しい日本の姿を考え政局を見通した
勝海舟は幕府の事実上の宰相のような立場で江戸幕府に幕引きを行った。
江戸城の明け渡し交渉のにあたり、時の将軍だった徳川慶喜の身元や今後の道筋を
つけたり、江戸城で働いていた人々の就職の世話に奔走したりそれはそれは大変だったこと
だと思う。幕末維新で大きな戦争もなく政権譲渡ができたことはこの勝海舟の役割が非常に
大きかったと思う。勝海舟のような人物でなければすんなり政権移譲が出来なかった可能性も
考えられるからだ。
勝海舟はいわゆる保守派ではなかった。逆に海外事情に通じ国際的に物事を考えられることが
出来る人物でもあった。
もし、勝海舟ではなく他の人材がこの状況で幕府をリードしていたら全く違う明治維新や
その後の日本にも大きな影響を与えたことでしょう。
勝海舟がその先見性を持つに至った事は環境も大きく影響していると考えられる。
もちろん天性のものも合ったと思うが、下級武士だったことも大きいのではないか。
わずか米40俵という少ない禄の中でいわゆる貧困武士の家庭で育った。
下から上を見るときに、このままでは幕藩体制も危うい、時代の波をきっと肌感覚でも
捉えていたこととと思う。
剣術、禅と訓練を行っていた青年時代から世界へ目を向け始めたのはやはり早く
その見識など買われて徐々に幕府内でも出世していった。
人物は人物を知る
勝海舟が軍艦奉行のときはじめて薩摩の西郷隆盛と面談することになったが、このときは
薩摩、会津が同盟をして長州を京都から追い出そうとしてた。
いわゆる蛤御門の変、もしくは禁門の変といわれる出来ごとの前日に勝海舟と西郷隆盛は
面談に及んだのであった。そのときに、勝海舟は西郷隆盛に驚くべき意見を言っている。
「幕府ではもう駄目だ。雄藩が連合をして国政を創っていかないと日本は駄目になる。
日本を近代的な統一国家にしないと列強に侵略されてしまう、そして幕府にはその能力はない」
ということを薩摩の西郷隆盛に話した。
このことは西郷隆盛もとても印象に残っていたそうで、
「こんな凄い人物がこの世にいたのかと思った。見識、度胸、これ以上の人物は
まず日本に二人といないと思った」
と後に語っている。
それもそのはずで、当時の勝海舟の立場でいえば幕府側で言えば「海軍大臣」というべき
勝海舟からまるで幕府を否定するような話であり、西郷隆盛からすれば
語っているように、幕府という枠を超えて「日本」という意識で考えている凄い人物だと
感嘆したことに繋がる。
余談だが、この会談の少し前坂本龍馬が、勝海舟の元へ来て開国論者である勝海舟を
切りにいったところ、勝海舟の開国論、それからその後の日本のあるべき姿を説明され
すっかり納得してその場で弟子入りしていたということもあった。
龍馬と西郷は後にあうことになるが、それも勝海舟の紹介でありまだ後の事になる。
先の勝海舟と西郷隆盛の会談に話に戻ると、勝海舟の話をそのまま聞くと
長州征伐の反対であり、国内で戦争をすべきではない。外国が虎視眈々と日本を狙っているよ。
そんなことを諭し、そして薩長連合などつくり幕府でなく雄藩で国政を見るべきで
そのために幕府を倒してもやむなし。そんな様に受け取ったという。
西郷隆盛はその後大久保に手紙を送り、「薩長連合を進めよう」という内容で送っている。
勝海舟の先見性で、龍馬も西郷もそして更には、長州まで動き薩長同盟が成立し
明治維新へ向かっていくことになる。
最も、この会談の後に幕府側に会談の内容が漏れて軍艦奉行を免職されてしまった。
勝海舟は幕府では政権担当能力はないものの、その全てを否定しているわけでもなく
幕府の有識者と雄藩の代表などで行う、一院制の議会であり、首相は将軍がそのまま
なっても良いと考えていたようだ。
ところが、この案は15代将軍徳川慶喜になるとすぐにこの案は取りやめにし
幕府抜きの雄藩連合国家を考え、その実現にむけて幕臣という立場をこえて
考えていった。
先見性が志になった
そもそも何故、勝海舟にこのような能力が備わったのか?
大きく影響を与えたと考えられるのは、長崎での海軍伝習所にいたころに
オランダ人士官から国際情勢や日本がどの様に海外から見られているか?
日本はどうすべきか?このようなことを考える機会になったという。そこで
幕府だけでなく「日本」という近代統一国家しなければ列強に容易に侵略される。
そのような志をもったと思う。
先見性を持つ人物は誤解もされやすい。幕府末期に至っても保守派などは
勝海舟は重宝されずにいたが、いよいよ幕府が薩長率いる官軍に京都で戦いに負けると
徳川慶喜に重宝され、海軍奉行、陸軍総裁という幕府史上例のない、全権の軍事部門を
任されるようになった。
最後の幕府の会議でもあくまで戦争をするという、小栗忠順と激論を交わすが、最後には
勝海舟の唱える、江戸城無血開城を将軍は選択しここで事実上無条件降伏が決まった。
この無血会城も、幕府への思いももちろんあったでしょうが、日本の為にどうすることが
一番良い選択か?このようなところからの決断であり、その後敗者になった旧幕臣達の
世話や行く末を勝海舟がなくなるまで、見ていたという。
これは新政府でも勝海舟は重宝されたこともありできたことだと思う。
生まれ育った環境、それから長崎でのオランダ士官からの話が大きく
先見性に係わったてきたのだと思う。
石川博信
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